琳派の花園 あだち

「区制90周年記念特別展 琳派の花園 あだち」という展覧会が、家から歩いて3、40分くらいの場所にある、足立区立郷土博物館でやっていたので、散歩ついでに観に行ってきたのだが、とても地味で小さな、展示作品もそれほどすごいわけではないけど、思いのほか面白い展覧会だった。

https://rimpa-adachicitymuseum.jp/

足立区と琳派という一見何の関連もなさそうな二つの固有名詞が、歴史的にそれなりのつながりを見せる。それは江戸時代の酒井抱一と千住の建部巣兆との付き合いからはじまり「琳派様式」として抱一の門下である鈴木其一から、明治に至って千住に拠点をおく村越其栄や村越向栄らへと受け継がれていった。

…という継承の流れも面白いのだが、さらにそれらの作品が、千住の河原町沿いに住む裕福な商人たちによって支えられて、蔵に納められて、四季折々の節目には床の間や座敷に飾られて、その生活に密着したかたちで扱われていた、その過去というものが、すごく厚みをもった実感的なものとして感じられた。何よりそれが、強く印象的だった。

屏風絵とか、掛け軸って、つまりそういうことだよなあ・・・と思った。端午の節句には、勇ましい武将の掛け軸が掛かり、お祝いなら高砂の掛け軸が贈られる。かつてそういう時間の流れがあった。だからこそこれらの作品が、このような姿をしているのだと。それらが要請される屋内の空間があり、そこでの生活様式や感覚や思考があった。…こういういわば、場合によっては感傷と判別されかねないような過去への視点をもって「かつての時」を見るということが、それもまた一つの、たぶん芸術を見るということでもあるだろうな…と。芸術はつねに人間の最新形式ではなくて、つねに過ぎ去った過去の姿でもあるだろうと。

(もちろんそればかりだと嫌になるというか、飽きるので、色々と行儀悪くあちこちに右往左往する態度になるのが「現代」の我々の態度なのだが、今を生きる以上それは仕方がない。)

それにしても、戦争というのは今更ながら、ほんとうに未曽有の破壊だったということ。空襲によって、東京は執拗に焼き尽くされた。それはわかっていたつもりでも、やはりわかることは出来ない、そのことをわかる。ほんとうに信じられないくらい、多くが焼失したことだろう。

アウシュビッツからは誰一人として生還できないがゆえに、そこで何が行われたかは永久に知られることがないだろうと、当時、収容所で語った看守だか職員だかがいたらしいけど、たぶんそれは収容所だけでなく、戦争の災禍すべてにあてはまるとも言える。燃え尽くされてしまえば、いったい何が失われたのか、それさえわからない。事前と事後の比較自体を無効とする。破壊とはつまりそういうことだ。破壊はその行為自体をも消す。消しうるという期待が、込められている。

しかしぽつんと焼け残った二つの蔵があって、その中に収まっていたものは無事だった。明治から、おそらく定期的に掛けられたり、通気などメンテナンスの手を掛けられたりして、所有者によって大切にされてきた過去をもつそれらは。