師走感

昨夜、妻と駅前の居酒屋で呑みながら、今年もあと一週間で終わるって知ってた?まじか?そうだっけ?と今更のような話をする。今年は二人ともなぜか年末な感覚にまるで染まってなかったのが、にわかに焦りをおぼえて、今朝、僕が起きたら妻はすでに大掃除の恰好をしてバタバタと立ち働いており、窓という窓が全開になっていて室内が外と同じ気温になっていて凍死するかと思うほどで、しかし寝床へ戻ることは許されず半ば強制的に窓ガラスを拭く役務を授かり、ベランダに放り出されて勤労奉仕する。とはいえ僕の役目はその程度しかなく、だいたい午前中いっぱい(主に妻が)はたらいて、昼前に遅い朝食兼昼食をとり、近所で夜の食材を買って、午後からは年賀状を書く。年賀状はもちろん年々扱いを縮小させいずれは無しにしたいと望んでいるが、そう思いながらすでに二十年が経ってしまって、いまだに毎年五十枚くらいは出してる。年賀はがきはイラストが印刷された既製品をいつも買って、それに宛名を手書きするのだが、毎年思うことだが、僕はほんとうに字が下手。字というのは人の外見みたいなもので、もともと整った外見の人間とそうではない外見の人がこの世にいるのは仕方ないとして、でも整った人がやや油断してるだらしない感じと、もともと整ってない人がそれなりにカッコつけてる感じと、どっちが素敵に見えるかと言ったらやはり整ってる人のあえて見せる弛緩した雰囲気なわけで、そういうのをつくづく感じるのがたとえば年賀状などの手書きの字を見るときだと思うのだが、だからプリンタで印刷するより手書きの方が、まあ面白いと言えば面白いけど、やはり面倒くさいので早くこの風習は絶滅すべきであるとの思いは変わらない。

夜は長々とテレビを見たりあたりに散らばった読み物を適当に読み散らかしたり漫然とすごす。このダラダラした、酒を飲むのさえやや飽きてくる感じが、ようやくの年末らしさだ。