キタイ・有元

R.B.キタイの画集を適当にぱらぱらと見てみた。60~70年代のアメリカの社会事情がそのまま絵画になってるような、きわめて時事性の強い、社会告発的、ジャーナリスティックと言っても良いようなテーマの作品が連なっている、にもかかわらず、なぜこれほどまでに堂々として、これらの作品は、一点一点が、はっきりと単独で絵画なのだろうか…と、ちょっと腑に落ちないような不思議さを感じた。

時事ネタ、社会事情、政治、経済、性、暴力、さまざまな表層に対して、R.B.キタイはまるで、将棋を指すかのように、異なる読み、異なる取り組み、異なる戦法を、とっかえひっかえ試しているかのようだ。

言うまでもなく、キタイの画力、筆力はとてつもない。そのへんの画家が何人で掛っても一網打尽にされてしまうほど桁違いの技術力がある。そして、そのことへの自足がないというか、そのことを取り上げようとするテーマに対して馬鹿正直にもぶつけてその結果をただ観察しているだけの、態度であるかのようだ。

上手いというだけでなくて、それをどのように状況に流し込むのか、そうせざるを得ないのか、その結果に対してキタイは従順だ。その従順さをすぐれた芸術家なら誰でも携えている。ほとんどのすぐれた芸術家に感じさせられるのと同じく、キタイの作品からもある意味何かへの奉仕、の印象を受ける。

さらにキタイの隣にあった有元利夫の画集も引っ張り出してぱらぱらと見てみた。この作家は1946年に生まれて1985年に亡くなっている、享年38歳。そうなのか…と今更のように驚く。年譜を読むと、四浪して芸大に入学し、そして1973年の卒業時に、かの有名な「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」10点連作を制作する。

この作家の十代から二十代の、そのイメージ力の強靭さには、たしかに気圧される何かを認めざるを得ない。よくぞここまでやり遂げたものだと、感服せざるを得ないものがある。あこがれとか、よろこびとか、美しさに対する執着、意固地さにおいて、その頑なさ自体を芸に昇華している。そのことに開き直って自分の内側に裏返ってしまうのを、巧妙に避けつつ最初の清らかなあこがれの歌を、ひたすら歌い続けようとした、当時の日本の環境において、少なくとも70年代はそれに成功していたのだと思われる。

何を選び取り、何を私の資質とするのか・・・それもまた社会や時事の影響を受ける。それは間違いない。時事に対して人間個人、その人体実験のようなものの報告書が、すなわち絵画とか美術ではない、と思うが、そのように回顧してしまうことも可能だ。しかし作品単体はそれを拒否し、つねに単独性を主張する。すぐれたものほど、そうであるはず。R.B.キタイはその意味でじつに読みがいのある、一筋縄では行かぬ厄介な、今なお見て面白い作家だ。

(高校生のとき、予備校講師からキタイの絵の「良さ」について、滔々と説教されたことがある。お前はこの絵の、このことも、このことも、わかってないのかと。当時は日々、屈辱の連続だったけど、今となってみれば、なつかしい思い出。)