旅行

レヴィ=ストロースは「悲しき熱帯」の冒頭「私は旅や探検家が嫌いだ」と書き出す。それは民族学者として研究素材や記録を収集するにあたって、旅は思いのほか非効率的で無駄な時間が多く、些少な情報価値を得るには見合わないほど多大なコストを必要とするかららしい。

それだけでなくレヴィ=ストロースにとっては、現地へ赴くという行為自体への疑いというか迷いのようなものがある。それが自らの過去の記憶として、決して良い思い出ではなかったのではないか、できればそうではないやり方によって研究を構築したかったのではないかと思わせるようなところがある。

ここで語られる「旅行」は、現代のそれとは違う。にもかかわらず、やはり同じとも言えるのかもしれない(レヴィ=ストロースの旅すなわち1930年代の時点でそれはすでに「旅行」である)。つまりその方法では、決して見るべきものを見ることができない、という点において。

私は「本当の」旅の時代に生れ合わせていればよかったと思う。旅人の前に展開する光景が、まだ台無しにされていず、汚れても呪われてもいず、その有丈の輝かしさのうちに自己を示していたような時代に。そして、今の私のようにではなく、ベルニエや、タヴェルニエやマヌッチのようにそこへ踏み入っていればよかったのだ。一旦始めると、想像の遊びにはもはや終わりがない。インドはいつ見るべきだったのか。ブラジルの野蛮人の研究は、どの時代に行っていたら、最も純粋だという満足をもたらすことができ、また最も変質していない姿で彼らを紹介することができたのであろうか。十八世紀にブーガンヴィルと一緒にリオ・デ・ジャネイロに到着していた方がよかったのか、それとも十六世紀にレリーやトゥヴェと共にか。五年ずつでも早ければ早いだけ、私は習俗一つを余分に掬い上げ、祭りを一つ多く記録し、俗信一つを余分に先住民と分かち合うことができたであろう。しかし、私から一世紀を取り去れば、同時に、私の考察を豊かにしてくれる資料や興味ある事実を断念する結果になることを、私は文献資料の知識からよく知っている。このようにして、私の前に現われるのは脱け出すことのできない循環だ。人類の様々な変化が、相互に干渉をもつ度合いが少なければ、つまり接触によって互いに腐食し合うことが少なければ、それだけ、異なった文化がそれぞれ送り込む使者が、文化の多様性をもつ豊かさと意義を認め得る可能性も少なかったわけである。このように考えて来ると、私は二者択一の隘路に追い込まれる。昔の旅人として、目を見張るような光景---しかし、彼はそのすべてもしくは大部分を把握できないだけでなく、なお悪いことに、嘲りと嫌悪を感じるのだ---に向かい合うか、または現代の旅人として、すでに消滅してしまった現実の痕跡を追って走り回るか。いずれの場合も、私は敗者だ。見掛けよりもっと惨めに。なぜなら、幻影を前にして呻吟している私の心は、現在形成されつつある真に瞠目すべき出来事に向かって開かれていないのではないだろうか。そうした出来事を観察するためには、人類の歩みの中での私の位置は、まだ必要な知覚機能を具えていないのではなかろうか、数百年後に、この同じ場所で、他の一人の旅人が、私が見ることができたはずの、だが私には見えなかったものが消滅してしまったことを、私と同じように絶望して嘆き悲しむことであろう。私は二重の不具に冒されているのだ---私の見るものすべては私を傷つけ、私は自分が十分に見ていないといって絶えず自分を責める……。

(「悲しき熱帯」第一部 "力の探求”)

…ある種の「危うさ」を感じさせる部分もあるけど、それでも語り手の悲観のうちに、この文章は終わる。すなわち甘い想像は裏切られ、期待されるものは決して見ることができない。今起こるそれに対して、この私にはそれを知覚する機能をもたないし、そのあと何年後か何百年後かに同じ場所を訪れる者は、それがかつて在ったが、今は失われたということしか知覚できない。レヴィ=ストロースにとってフィールドワークとは最初からそのような認識であったことを示すだろうか。

ナチスから逃れるために、40年代にレヴィ=ストロースアメリカへ亡命する。このときの、前回とはまるで違う厳しい渡航の様子が「悲しき熱帯」には時系列に逆らい織り込まれるようにして記述されている。自らの過去を、このように書きたかった、書かざるを得なかったということだと思う。)