生物

何を知覚するとは、異なる階層、異なるレベル間における、感じ方のせめぎ合い、強さ、弱さ、本流、傍流、その相互干渉の結果のある一断面。それは常に刷新される。され続ける、そのような継続性のことを、生物と呼ぶ。生物は、異なる階層、異なるレベル間において、相互作用を繰り返し、要求し、要求されながら、自他の入れ子状態となった果てに、物質としての身体を、そして自分を感覚する。

要求され、必要とされ、お前の能力をここに使えと言われ、それこそが私の輪郭を規定し、私の自由の基盤を形作る。何らかの引き合い、何らかの経緯の果て、その結果として、今ここにこうして、半分は非・私の結果として、私がいる。

たぶん諦めに近い、見放した何かに近い認識としての私。それがあって、そのあとから、歓びがついてくる。

自力はない。自分の努力で切り開く道もない。しかし自分なりの思いはある。この世の自分以外のものらと、混ざり合うようにしてある。