ハラカミ

NHK星野源が司会する番組でレイ・ハラカミ特集をやっていたのをみて、「JOY」とか「終わりの季節」を久々に聴いたら、すごく良くて、思わずちょっと狼狽えてしまうほどだった。とくに「終わりの季節」は、今さらながら空前絶後の傑作だと思う。あらためて集中して聴いてみると、そのサウンドだけに着目したとしても、気が遠くなるような繊細さで、型にはまらず、大胆で自由で飛び散るように躍動して、かつどこまでも自身のなかに閉じこもる、陰りなく自分を信じて自愛するような、ほとんど言葉をなくすような境地で作り上げられたもののようだ。

僕は細野晴臣のオリジナル版よりレイ・ハラカミ版の方が、好きというか、両者を比較する意味が感じられないくらい、レイ・ハラカミ版「終わりの季節」に心奪われていて、これこそが「終わりの季節」があらわすべきものを、正確に過不足なくあらわすことの出来ている楽曲だと感じる。こんな言い方は矛盾に満ちているが、そうとしか言えない。

テレビを見ていて印象的だったのは、くるり岸田繁が「ばらの花(rei harakami mix)」を「最初は理解できなかった、理解できるまで長い時間が掛かった」とたいへん正直な言葉で語っていたこと。たしかにわかる気がする。レイ・ハラカミは「ばらの花」も、いわば「終わりの季節」と同じような方法(考え方というか狙い)にしたがって作ったのだと思うけど、はたして出来上がったレイ・ハラカミ版「ばらの花」は、ある意味、容易に解決してくれない難しさをもつものになった気がする。解決や満足に至らないというか、容易に全容が把握できないと感じるから、何度も聴き直すことになり、そのうち、あるときどこかで"ああ、こういうことではないか…"という自分なりの理解が、かすかに見えてくるという感じで聴くしかない感じなのだ。