質と時間

この世界や宇宙が、はじめに前提として巨大な空間を広げている、というわけではない。だからと言って、すべてはこの私という主観が見て感じているだけで、すべては私の脳内で起きていること、というわけでもない。

この世界や宇宙は、たしかに存在するし、この私も実在する。物質はある。しかし物質のもつ時間は単位としては最小だ。そして空間も無限定だ。物質は作用と反作用を中和している。

ならその物質が「地」か?その物質を「土台」と考えて良いか?と言うと、それも違う。地や土台は無い。この世界や宇宙は、地や土台ではない。

中和する作用/反作用としての物質があり、中和しない作用/反作用のやり取りをする、固有の時間と空間スケールをもつシステム(生物)がある。瞬間に与えられた知覚は、それぞれの時間スケールによって擬縮される。ここに質が生まれる。

何度でも思い出さなければいけないのは、それが生物単体の内部で起こる出来事ではない、ということ。

間違っているのかもしれないが、僕はこの世界や宇宙に存在する全システム(全生物)の感覚質の、広大な麦畑のような地平に、ぎっしっりと地平線の彼方まで、擬縮された「質」が生えそろって、風になびいている様子を思い浮かべる。それらは一つ一つが、それぞれの「現在」であり「瞬間」である。

それが、生物たちにとっては、まだ「現在」に至ってない。異なる時間の単位に位置する私たちが、その「質」を受け取って、体験を得ようとする。そのときはじめて、私たちが「時間」を感じる。