石橋

アーティゾン美術館で「DUMB TYPE 2022: remap」を観る。もうこれ以上ないほど「国際美術展」的な感じで、これがダムタイプの新作なのか…と思う。

とはいえ暗闇のなか、立体的に組まれた音響装置から響く大小の声や音に包まれながら、等高線のうごめく地形図が線の集積に溶けていき、いくつもの文字の欠片がまるで桜の花弁のように、あるいは流れ星のように流れては消えていくのを見ているのは、かなり気持ちよくて、僕も周囲の観客と同じく、みんなで目をとろんとさせて光の明滅に没入しているだけだった。

物理法則にしたがって計算された運動の軌跡が、CGで再現されるというだけで、なぜか不思議な説得力というかある種のリアリティを感じさせるのだよな…とか思いながら…。

別室の「石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 画家の手紙」に展示されていた。古賀春江が絵葉書に描いて恋人に送った自画像。あんな絵葉書をもらったら、相手は嬉しいでしょうな。

それにしても葉書裏面にびっしりと書かれた字の細かさと小ささ。昔は新聞も本も、字のサイズが驚くほど小さいけど、人が書く字もこれほどまでに小さかったのか。目に見える見えないよりも、書くという手の動きがよほどこのサイズ感に慣れていなければ、字は決してこうはならない。現代の人々がいきなりこのサイズで字を書くのはほぼ不可能だろうと思う。

字の大きさと余白の取り方も、メディアの形式が規定するものではあるだろう。葉書という形式に可能な方法のこれは一つの貴重な事例だろうと思う。