MOT新所蔵品他

東京都現代美術館で展示中のコレクション展を観に行く。新所蔵作品として末松正樹が展示されてるらしい。末松正樹は1908年に生まれて1997年に亡くなった。戦前から渡欧し、1944年フランスのペルピニアンにて抑留され、46年帰国する。会場に展示されてたのは、主にペルピニャン抑留時代の素描群。鉛筆のトーンがきわめてうつくしい、光と空気が重なり合って呼吸している様子を見ているかのような陶酔感。…それにしても、明日にも引っ張られて銃殺されるかもしれないそんな極限的状況下で、これらが描かれたとは…。

その前室に特集されていたオノサトトシノブの作品群も思いのほか良くて、ずいぶん時間かけて見入ってしまった。オノサトトシノブ(小野里利信)は1912年に生まれて1986年に亡くなった。中国戦線に動員され1945年シベリア抑留、48年帰国する。会場には30年代の風景から晩年に近い頃のタブロー・水彩まで、展示数も一室ながらまとまった数で見応えある。

末松やオノサトの作品を観ていて、近代日本の歴史というストーリーがあったとしてもそれを画家の作品が説明するようなことは無いと至極当然のことを思う。それはむしろ、近代日本の歴史といったお題目とはまるで無縁の、絵画という形式と内容をめぐる問題意識だ。それは人間にあたえられた時間内いっぱい執拗に反復・再起してくる強迫的と言っても良いようなものだ。それは外的な出来事や社会や歴史とは無縁に、ほとんど金属ワイヤーのごとき強靭さで、変わらぬテンションをもって作家たちの生きた時間を貫いているように感じられる。

オノサトトシノブが二十代の頃に描いた大浦天主堂を観ると、そこには既に強靭な格子状の構造がみとめられて、もう生まれたときから、きっとはじめから「これ」なのかと、半ば呆れるような思いにとらわれる。二十代で描いた大浦天主堂と、晩年の同画家の諸作品との間には、ほとんど同じ問題意識が響き合っている。おそらく描くべきこととは、画家が見つけ出したものではなくはじめから画家にとりついていたもので、払いのけようとしても取り払えないものだ。だから青年期だろうがシベリア帰国後だろうが、そんな条件いっさいに関係なく、画家の身体を通して何度でもよみがえってくるし、何度でも考えを求め、より適切な正解を求めて再起しようとする。画家はあやつり人形のごとく生涯その働きに奉仕するだけだ。

とはいえ50年代からじょじょに洗練の度を高めていくオノサト様式ともいえるあの「円」構造の絵画としての強さと豊かさは、この画家が長年の執拗な取り組みによって勝ち取っていった成果にほかならないというのもたしかだ。今回、作品をみて予想外の良さに打たれたのもそこだ。画面内に細かく縦横格子線が引かれて方眼状の空間に、円が置かれる。円は単体のこともあれば、複数の場合もある。そのように構成された画面は、幾何的な正確性、厳密性と、手描きの雑駁さ、緩さ、震えるような幅と隙間、その双方をあわせもつ。円というオブジェクトの本来もつ象徴性が絵画的仕事によって脱色され、ずらされて、ミニマルでありながら光と空気が活発に循環する絵画的運動が、観る者の眼の奥にゆたかに生成する。作品一点一点の凝縮感、サイズ感、色彩、手仕事的温か味、のようなものに惹かれ続けて、なかなか作品の前をはなれられなくなる。

他、印象的だったものとして、岡本信治郎の展示も相当すごかった。岡本信治郎は1933年に生まれて2020年に亡くなった。これまで常設展示で「笑っちまったゴッホ」を観たことは何度もあったと思うが、このたびはじめてまとまった数とボリューム感の展示作品を観て、これほど「ものすごい」のかと知った。あらゆる要素を、大画面で、複数パネルで、執拗に描いて組み合わせて、ぎっしりと集積させ、あたかも礼拝堂や仏門のように、どーんと展示開陳させる、そのやり方自体には「美術ってどうしても、こうなりがちなのか、だとしたらそれはなぜなのか…」という一抹の心曇りを思わなくもないのだが、それでもここまでやったら圧倒されるし、呆然としたままいつまでもその場に留まって佇むしかないという感じだ。

展示会場を出たら、外は雨が降ったり止んだり、空は晴天なのに、雨が強いシャワーのように路面を叩いていた。