キーボード

はじめてキーボードに触ったのは、たぶん小学生のときだ。ちなみに鍵盤のキーボードじゃなくて、コンピュータのインターフェイスのキーボードの話。当時はあの物体が未来そのものに感じられたし、キーボード入力ができる能力をほとんど外国語を扱える能力みたいに思ったものだ。

キーボードのことを、字を書く道具であると思っていた。手に筆記用具を持って書く、その代替として、キーボードでタイプする。今思えば、いわばタイプライター的なイメージの延長ととらえていた。(もちろん当時はタイプライターのこともよくわかってない。)だから並んでいる無数のボタンを押すと、そこに割り当たっている文字一つ一つが印字されるのだろうと、ぼんやり想像していた。字を一つ書くより、一回押す方が早い。なるほどすごい考え方だと思った。

まあ、それはその通りかもしれないが、はじめて見た実際のキーボードには、たしかに文字を担うキーが殆どだが、それ以外にもよくわからないキーがたくさんあった。とくに、矢印キーの存在には驚いた。字を書く道具なのに、いきなり矢印とは何事かと思った。なぜ"矢印"という字を書くわけではない、矢印そのもののキーがあるのか。いわばそのキーだけが、字を書くことであらわれる世界とは別の相において利用されることを意味しているのだった。

またエンターキーとスペースキーも謎だった。まったく用途がわからないし、そのくせ、他と較べて巨大でやけに存在感がある。ただ、字を書く上で必要な、副次的な役割を担っているのだろうなと、なんとなくの想像はできた。そういうのが必要なのだと言うなら、よくわからないなりに一応納得できるとは思った。しかし矢印キーだけは、いつまでも違和感を拭えなかった。とはいえ、文字を書くための役割を担っているのではなくて、まさかゲームをするための役割を担っているのではあるまいか、それにはたと気づき、もしそうだとしたら、上下左右という平面座標系、文字ではあらわすことのできないフィールド。その仮定された領域の四方向へ動くことを許してくれる場所が、コンピューター内のどこかに用意されているなら、それはすごいことだが、まさかそんないいかげんな話もないだろうと思った。字を書くための道具にそんな唐突な役割が付与されているなんて、ありえない話だった。

まだブラウン管モニターだった時代は、画面表示されるモニタをコンピューター本体だと思い込んでる人がいたと言うけど、僕はキーボードをコンピューター本体だと思っていた人である。それは小学生時代に近所の友人宅にあったPC-6001が、まさにそういう機体だったからでもある。

PC-6001で友人と「オリオン」をプレイした。オープニングに流れる電子音のメロディが「レイダース」のテーマ曲だと知ったのは、その数年後である。そしてキーボードの矢印キーは、このゲームで自機体を操縦するのに用いるのだった。だけど、もっと臨場感のある操作ができたらどんなに素敵なことだろう、もっと本当の宇宙戦のように…と思った。まだ明確には形の焦点が合わないまま、頭の中にジョイ・スティック的なイメージが、おぼろげに浮かんでいた。