アリス

ヴェンダース都会のアリス」は、昨日の夜に前半一時間見て、今日後半を見た。前半だけで深い満足感があり、ただあらわれる場面を観ているだけでいいような気持ちになる。

アリス役のイェラ・ロットレンダーは、あまりにも表情がゆたかすぎて、演技の細かな感情表現が的確すぎて、少女というよりも、程よくわがままながら程よく主人公を受け止めて連れ添ってくれる、主人公のよくできた鏡のような存在にも感じられる。そして後半以降の、二人がしだいに心を許し合っていき、やがて仮の父娘のような関係に近づいていく展開に、意外と躊躇なくそこまで進めてしまうのだな…みたいな印象も受けた。

ウィキペディアにも載ってるけど、たまたま同年公開された「ペーパームーン」との、物語としての不思議な類似性は、登場人物の関係性とかではなく、やや上手すぎる子役の演技が原因ではと感じられるのだが、本作での二人の関係は仮の親子的な関係でもあるけど、もっと緩くてカテゴライズしがたいような、どこまでも曖昧で不安定な、それぞれの理由で漂ってる個々人の関係という感じでもある。

それがひたすら冗長で果てのない移動の連続、カメラの横移動でとらえられる街並みや行き交う人々の様子や景色の流れの連続によって、その手がかりのなさや先行きの不安や現状への不満があり、もともと主人公の孤独だが強い意志をもって進めるべき営みへの思いがあり、それらの干渉とか焦燥とか怒りがあって、しかしその根本からなぜか不思議な相手への許容とか笑いとか和やかさのようなものが生まれてきて、そこに親子でもなく仲間でもなく、なんとも言えない二人の独自な関係が成立するという、そういう独自な感触を保っているのだとは思う。

観ている間だけの「この世界の中」にとどまっているのが、ひたすら幸福であるような映画だと思う。この枠内だけが快適で、この枠を一歩でも外に出たら、そこは映画外の荒涼しかないと思われるような。