期待と郷愁

未来への期待という感情、そして過去への郷愁という感情。

あのときの、まだ子供だった自分が、何かをきっかけにして、これから来たるべき未来に強い期待をいだいた。ああ、きっとこの先は今よりもっと、楽しいことばかりに違いない、そんな根拠なき確信をもって、胸がわくわくして、いてもたってもいられない。

あの、強い期待感に身体が乗っ取られるかのようだったのを、今になっても思い出すことができる。あのとき、どんな希望を持ち、何をそれほど期待して胸を膨らませたのか、その内実を言葉にすることはできない。というか期待の内実というものは、おそらくはじめから無かった。そのことはわかる。期待に根拠がないというより、根拠を問う必要がない。その感情はそれ自体として生まれる。

そのときの自分が、歓びとともに期待を抱いたその感覚をきっかけとして、今それに郷愁が沸く。この郷愁にも内実はない。期待がかなった、あるいはかなわなかったこととか、思っていた通りだったとか違うとか、当時の自分が浅はかだったとか思慮深かったとか、そういうこととは無関係に、ただ郷愁はそれだけのものとして生まれる。あたかも期待が期待だけで生じたことを反復するかのように、郷愁も郷愁としてだけ、今の心に広がろうとする。

期待も郷愁も、参照先をもたず、未来あるいは過去へのまなざしや想像は介さず、ただ単体の感情としてだけある。おそらく両者は同質のもので、つまり今このときからはなれた心の状態が、変化しながらどこかに流れているに過ぎない。