電車の中はひどい混雑だった。連休が混雑を生み出す。もちろん我々もその一要素である。

駅を降りてしばらく歩くと、水の流れる音が次第に大きくなってくる。やがて見下ろした先に川があらわれた。豊かな水量が勢いのままに、光の青い反射を撒き散らせて、時折白く飛沫を立てて流れている。その音と水のほとばしる運動に魅入られる。たいへんな滋養に満ちた、清澄な、ありがたい、おおいにご利益のある何かを前にしたような気がしてくる。

川沿いの道を、流れとは反対のほうへ歩く。川は色を変え、速度を変えながら、ほとんど無限を思わせる物量感をもって流れる。時折進路がひらけて、水辺まで近づくことの出来る一帯があらわれる。波が小さく打ち寄せるぎりぎりのところまで進んで、爪先が水に触れるくらいのところに立って遠くを見る。流れる水のうねりと光の反射が、正しい距離の把握感をうしなわせる。見ているものが目の錯覚のように感じられてきて、頭の中は左右の耳からなだれ込んでくる水の音だけでいっぱいになる。

駅前の露台で直売されていた、なかなか立派な生わさびをひとつ買った。家ですりおろした感触でやや早いかもと思ったけど、食してみたら見事に爽やかな、すでに完成形の味わいだった。海水の記憶を閉じ込めているのが牡蠣だとしたら、清廉な淡水の記憶を閉じ込めているのはわさびか。