小説家の映画

ヒューマントラストシネマ有楽町で、ホン・サンス「小説家の映画」(2022年)を観た。前回観た「あなたの顔の前に」のイ・ヘヨンが、今回も出演している。冒頭で彼女の姿をみとめて、まず胸の内側で波立つものがある。前に観た映画の主演俳優が、今観ている映画にまた出てきたからといって、それは一つの世界の連続を示すわけではない。役者が同じだろうが、それが明確に前作の続きあるいは世界を同じくすると銘打たれてないかぎり、それとこれとは別の話だと思うのが普通だ。それはもちろんそうなのだが、しかしイ・ヘヨンはすでに、ホン・サンス作品のすごく重要な部分を担ってしまっているような気が僕にはしている。この人の言葉や態度や、口走ることや言い淀むことや、表情の内側に浮かぶものから、この人物そのものが映画の答えで、それより奥には何もないという気にすらなってしまう。そしてその想像をこの映画は決して妨げないかのようでもある。「あなたの顔の前に」でイ・ヘヨンは、たしかに映画制作に挫折した。たしかにそれは彼女自身が演じる側として持ちかけられた話ではあったけど。でも彼女は生き永らえて、リベンジであるかのようにやはり再び映画を求めた、・・もちろん細部の相違はそれとして、それはそれで「あなたの顔の前に」の後日談として本作をとらえることは、決して無理な想像ではないと、そう思いたい。ただし、あくまでもそう考えたいわけでもない。そうも思えるけど、それはそれなのだ。べつに裏も表もなく、真実も何もなく、これはお話なのだ。

イ・ヘヨン演じる主人公は小説家で、これまで培ってきた経験、作家として重ねてきたキャリアがあり自尊心もある。とはいえ既に書きあぐねてから長い月日が経つ。作家としての自分はもう終わったとの思いもある。しかしいまだに作家としての私を知ってくれている人もいる。書きつづけろ、才能があるのだからと私に熱く語ってくれる人もいる。そのことは嬉しくもあるが困惑の思いもある。知ったような言葉、大雑把なねぎらい、つまり適当な無理解とキリの良いところの遮断によって、あしらわれてる感じはある。当然ながら他人が、私の何かを知っているわけではない。

ところでイ・ヘヨンが、偶然出会った俳優であるキム・ミニに「あなたを被写体にして映画をつくりたい」と持ち掛けるのは、いかにも唐突な話に感じられる。その手前で、知り合いの(主人公とは過去に何らかの事情があった感も匂う)映画監督とその奥さんとのやり取りが、映画監督のキム・ミニへの言葉をきっかけに決裂してしまった経緯はあったにせよ、「映画を…」は、いかにもイ・ヘヨンのその場の思い付きみたいな、やや軽はずみな提案にも感じられる。とはいえキム・ミニもまんざらではなさそうにその提案を受け入れるし、事態はそのように進むのだが、しかしイ・ヘヨンにとって今やるべきことが、映画を作ることなのかどうか、そこには一抹のモヤモヤが残りもしないか。ただその唐突さこそ、ここでの何かだよな…とも思う。あるいは物事とは何をはじめるにおいても、多かれ少なかれ唐突なことになるものだよな、とも思う。

この映画には様々なクリエイター、表現に関わる人達が出てくるけど、彼らはいずれも社交の場で互いに挨拶を交わす者達としてだけあらわれる。それはこれまでのホン・サンス作品でも例外なくそうで、ホン・サンス作品は彼らが実際に「制作」の現場で見せる様子をとらえたことがないと思うし、それは本作でも一緒なのだが、しかしイ・ヘヨンの、外見や表情や態度からだけではうかがい知れない不透明さというものがあって、そこに「制作」の只中へ向かおうとする者の、かすかな匂いが漂ってくる感じはする。

過去の、気を塞がせるような、気まずさや退屈さの、上手く行かない感覚の、そういった記憶を、長年の知り合いたちと確かめ合いながら、酒を飲んで卓を囲っているよりも、上手く行くかどうかわからない、それどころか物語さえ決まってない、何のあてもなく手掛かりもない、ただ気分だけで今日出会ったばかりの俳優に、共に映画を作ろうと唐突にも言い出してしまう、その軽薄さの方がよほど私の心を騒がせ、高ぶらせる。そのような期待を消さないままに行う決断と判断こそが大事なのだ。彼女の(長年の知り合いである詩人らへの)苛立ちと、内心の不透明さは、まさに来たる「制作」へ向けての、意識的な緊張を阻害されたくない気持ちのあらわれであるかもしれない。

果たして出来上がった映画は、荒々しくも鮮やかなカラー映像として、その数ショットがスクリーンに展開されるのだし、キム・ミニを唯一人の聴視者として試写が行われてる映画館の屋上でタバコを吹かす彼女の後姿は、仕事を終えた作家の風格が漂っているかのようだ。もちろんイ・ヘヨンはイ・ヘヨンとしての「制作」における時間をもち、キム・ミニはキム・ミニとして、また別の「制作」を持ち、試写終映後の彼女たちが何を語り合ったのかはわからないまま、二人それぞれの姿が示される。映画を観終わって、イ・ヘヨンを追って屋上へのエレベーターへ乗り込もうとするキム・ミニの表情を見やることしか出来ないが、何かを読み取るのがむずかしいその表情を、すばらしいと僕は思った。

それにしても、そのイ・ヘヨン作品内で「完璧な笑顔」といった感じのキム・ミニの顔が極度のアップで映し出されるのはけっこうショッキングである。こんなホン・サンス見たことない!と思って驚く。