同時代

「プリンスのようなすぐれたミュージシャンの作品を同時代で聴き続けることが出来るのは幸福なことだ」と、大昔ある音楽評論家が語っていたけど、それはすぐれた作品のリリースを即時追えることが単に私だけの体験でなくて、この現在の世の中という緊張感のなかで、ある予感のような可能性のような、そんな期待を他の誰かと想像上で共有し、ミュージシャンと私と他の誰かの、空間を隔てた同時代性という時間枠内でその衝撃を分かち合える、そんなイベントでもあるからだろう。

ただし、作品はリリースされたらすぐに体験すべきで、さもなければ時間を経ていくにしたがいどんどん鮮度が落ちていく…ということではない。すぐれた作品は消費期限をもたないので、個々の作品をいつどのように体験してもそれはかまわないし、同時代的な空気が含まれようと含まれまいと関係ない。むしろそういうことに過度におもねった作品なら無視してもかまわないと思う。

しかしすぐれた作品の作り手と受け手が同時代を生きているというのは、やはり特別な幸運であるのは確かだろう。その意味でホン・サンスのような映画作家の作品を、こうしてほぼ毎年のように、新作として体験できる我々は、ほんとうに幸福ではなかろうか……と、ここまで書いて、でもなぜ、そんなことを書きたくなったのか。こうしてホン・サンスの新作を観ることが出来るのは幸福だ、と思うからだけど、それは同時代性のよろこびと言えるのだろうか。ホン・サンスの作品の登場人物たちが、相応に年齢を重ねており、その時間のなかで生きていることこそが、どこかでこころづよく感じて、かすかに安心したから、そんなことを言いたくなっただけではないか…と今おもった。