江戸末期から明治にかけてはテロばっかり起きていて、目立つ活動する人物なら生命の危険は当たり前みたいなものだったけど、現在の社会ではそのようなことがほぼない。去年あたりに事件は起きたけど、おおむねそういうケースは稀だ。

仮定の想像を巡らせるとして、政治家や実業家や財界人やその他有名人が、今も年間で十名前後は殺害されるような世の中だったら、それはどんな社会だろうかと思う。政治や社会問題への関心も、選挙の投票率も高いだろうか。

代表制選挙は人々を不満足にさせ、やがてポピュラリズムやファシズムを招き寄せるのかもしれないが、ここで想像された社会においては、大衆は熱狂せず、集会にも集わず、口角泡を飛ばして議論することもなく、「カリスマ」も求めず、SNSは閑古鳥で、皆が各々イラついているばかりで、そして恒例行事のように、テロが横行する。そんな世の中は、ありえないか。

ファシズムは到来せず、大衆は熱狂せず、まるで空腹のもたらす不機嫌さのような気分だけが、あたりに立ち込めている社会。政治家や資本家は、交通事故の犠牲者のようにテロの標的となることが宿命付けられていて、何の文脈も読み込めず、何の影響ももたらさぬ、単発の暴力だけ断続的に発生する社会。一時的な加熱が過ぎて、ほとぼりがさめると、ふたたび不機嫌な沈黙に塞ぎこんで、その場に身を横たえて、じっと目を伏せているだけの社会。

大衆が絶滅した社会。想像が死に絶えて、生存する一匹の動物のようになった社会。