僕と妻は、年齢で一歳しか違わないので、ほぼ同年代と言えるはずだけど、僕はともかく妻はそのことをどう思っているのか、たまに不思議に思うことがある。

たとえば昔話をしているとき、あの頃僕はまだ中学生だったと、言ったとする。すると妻は、だったら私はいくつだっただろうとか、普通に言うのだ。いや、一歳しか違わないのだから、そんなの言うまでもないだろうと思うのだが、どうも妻のなかでは、僕と彼女との時間差については、一年という時間に彼女のなかで納得していない何かがあるらしいのだ。そうでなければ、あれほど同じ過去の記憶について話をしているはずなのに、妙な違和を表明されるはずがないからだ。

いや違うのか。時間差に納得してないのではなくて、単に彼女が、僕が一歳年上であるという事実を、いまだに身をもって実感していないことを意味するのか。一歳差だとはわかっていても、実質的にはもっと上だと思っているから、ある過去を話題にしたときに、ああ、そんなあなたの過去の話ね・・・みたいな態度を取られるのか。たぶん共有しているはずの過去だというのは僕の思い込みで、相手からすれば常に数年分ずれた過去を言われているように感じるのか。そうだったのか、道理で。

あるいは実施的年齢差ではなく、ほぼ同世代だとの認識はありつつ、それでもやはり任意に提示された過去を必ずしも自分が共有しているとはかぎらない。その前提に忠実であり頑なである、とも言えるのか。そうかもしれない。むしろその方が妻をよく言いあらわしてる気もする。