ギンナンキンモクセイとときおりカツラの甘い匂いが漂う小道を歩いている。空気は冷えているが日差しは強く背中には熱を感じている。身体の表面が発汗するかしないかの瀬戸際の状態に留まっている。

肌に触れる体感温度の細かい変化、土や木々の生の促進とは逆向きの、物質へ向かうための活動がたてる匂い、空気中に遮る要素が少ないがゆえの、光の眩さと熱。それらのすべてに、言葉をあてはめるならば「寂しさ」のようなものがまとわりついている。これは歩いている自分の過去からやってきた感情ではなく、むしろ景色の側に属するもので、定められた変化に向かう土や木々の、それを遂行するための意欲にともなった彼らの感情が、歩いている自分へ伝播してくるものではないか。

小道は橋の下へ差し掛かり、橋を上り始めるとやがて、目下に広大な水面があらわれる。空と同じくらい大きな鏡が、鈍く光って空と雲を映し込んでいる。そこにあるはずの空間全体が膨大すぎて、自分に与えられた計算処理速度では受け取りきれないのを感じ、わかるところとわからないところ、とくに境界線近辺で知覚処理が細かくエラーになる、その部位をとくに念入りに味わっている。