我孫子には杉村楚人冠記念館というのがあって、明治から昭和にかけてのジャーナリスト杉村楚人冠(1872年~1945年)の旧居跡を見物することができる。斜面のような敷地内に母屋、茶室、澤の家(別宅)が点在していて、我々は散歩の途中で立ち寄っただけで母屋(有料)には入場せず、茶室と澤の家を外からのぞいただけなのだが、何もこの施設にかぎらず、この手の古い日本家屋をみるたびに自分はそう思うのだが、こうして昔ながらの日本家屋が構成している内部空間を見るたびに、あーそうなのだ、もともとはこういうスケール感で、この身体に掛かってくるリズム感で、かつては誰でもが生きていたはずなのだとの実感が、妙に生々しく記憶のうちに浮かび上がってくるのだ。

とは言っても、かつての自分がそのような日本家屋に暮らしていたわけではない。思い出すことが出来るとしたら、子供のころ夏休みに滞在した、今はもう存在しない母親の実家の記憶だろうか。きわめて狭小な、あの間取りに母親を含む姉妹ら何人で暮らしていたのか、今となっては想像もできないほど「小さな暮らし」だったと思う。比喩ではなく物理的スケール感としての小ささのことだ。

杉村楚人冠の立派な茶室も、狭小な母親の実家も、日本の木造家屋であるからには、襖のサイズ自体は同一である。襖というのは1800×900mmである。また畳もほぼそれに近いサイズおよび縦横比である。日本家屋の基本スケールとして、襖と畳があり、それらが縦横を遮蔽することで、あの内部空間が出来上がっており、人間はその人工的な抽象枠内に、自分の生を配置し直さねばならない。かつての日本人はそれを前提に暮らしを立てていた。

あの襖の向こうから部屋へ入り、座るのはあのへんで、モノの配置はその周囲で、と、ほぼあらかじめ規定されているかのように、その空間は人間の所作すべてをある形式へ導くかのようだ。同時に、ここで暮らしを成立させることなど、今ではぜったい不可能であるとも思われた。利便性とかそういうことではなくて、とにかくスケール感の違い、もはや民族的な相違とさえ思いたい。本気でやり直すなら、これまでのすべてを捨てないかぎり無理だと思った。そもそも今や、床に直接座すことがない。床に座るときの部屋の有りようを意識しない。しかし日本家屋はそれが前提だ。座って見渡したときに感じ取る空間のことだ。