LPレコードが衰退し、かわりにCDが台頭して、曲の並び順という制約が弱まった。これはCDからデジタル音源を取り扱うようになってさらに無きものとなった。

Princeは1988年リリースのアルバム"Lovesexy"で、CD収録した楽曲についてはトラック毎に分割を施さず、アルバム全部で一曲の扱いとした。つまりリスナーから曲の演奏順序を操作する自由を奪った。当時"Lovesexy"を愛聴した人間の一人として、この措置は「気持ちがよくわかる」ものに思えた。あの鉄壁の曲順序を適当に改変されてたまるかと、自らダビングして自らの考えで曲順を変えるならまだしも、目的も意志もなく漫然とデジタル機能に丸投げして、これが新技術による自由だなどとうそぶくなんて、恥を知れと言いたくもなるだろう。

その一方で、やはり曲を任意にリピートやスキップやシャッフルできる魅力には、抗いがたいものがあった。制約があるからこそそこには特有の旨味が溜まるのだが、制約がなくなるなら勿論それに越したことはないのだった。

"Tango in the Night"を聴くと、その6曲目<Mystified>と7曲目<Little Lies>との間にあるはずの空隙の気配に不思議ななつかしさを感じる。80年代には未だ主流だったA面とB面の断絶の余韻が、まだそこに漂ってる気がする。

作り手はA面全体をどう扱う気でいるのか、1曲目からどの曲を並べ、どのように押し引きや強さ弱さのバランスを配置し意図づけるのか、かつて、アルバムを聴く者はそれを常に意識した。それは読み取るべき将棋の定跡に近い何かで、しかし解釈は自由であり、アルバムという制限の多いフォーマットだからこそ、そこには読み取るべき何かがあると思えた。

ごく単純に言えばシングルカット予定のヒット曲候補が、全体のどこに配置されているのかということでもあるけど、それこそ将棋の陣形でどの駒がどこに配置されていて、その勝負にのぞもうとしているのかを感じ取るのに近い。アルバムを聴くことの面白さとは、たとえばそういうことだった。