フリートウッド・マック"Tango in the Night"が古びてない、今も古臭くないって、どういうことだ?どう聴いても古いじゃないか、と思う方々も多々いらっしゃるとは思うが、それはたぶんその通りで、このアルバムをここ数日、くりかえし聴いてる自分の頭がおかしくなってる可能性がきわめて高いのだけど、それにしてもこのアルバムこそ80年代なのだという感触のたしかさは、いくらくりかえし聴いても色あせない。80年代がここでは色あせてないことに対して驚いているのだと言ってもいい。
ジャケットはもとよりこのアルバムにはある種のエキゾチシズムがあるのだが、しかし珍しい楽器が使われているわけではないし、変わったコード進行の曲があるわけでもない。どこが異国情緒なのだ?と問われたら答えようがない。にもかかわらず、ここにはたしかにそれがある。いわば80年代的エキゾチシズムというのがこれなのだ、と答えるしかない。
平然と不自然さを押し出せること、イキッた感じ、その気になってる感じ、クールを気取った感じ、そういう格好が当たり前だったので、だれもかれもが、立ち位置からして変なのだ。前後の文脈とか、いっさい無くて、いきなり始まるのだ。
"Tango in the Night"のA面の流れは、夢のようだ。どの曲もとくにイントロが素晴らしい。当時のシンセサイザーの音というのがある。弦楽的な鳴りを安っぽく再現したようなあの音だ。それが太い河の流れのように鳴っていて、時折きらきらした装飾音を響かせる。デジタルリバーブの効いた、いかにもな空間の広がりが生まれる。
80年代の大御所グループは、何しろコーラスワークが素晴らしくて、フリートウッド・マックは男女計三名のボーカルがそれぞれの曲によって役割を担いつつ要所で組み合わさる。おそらく録音時にもそこは念入りに分厚く作りこんである。この重厚さは80年代の時点で古くて保守的だった。80年代の先端ではなくて、真ん中に存在したポップ・ミュージックがこれなのだ。