先日、やや大きめの"ナット"が必要になり、もしかすると百円ショップにあるんじゃないかと思って見に行ったら、たしかにナットは売っていたのだけど、求める口径のものはなかった。しかし、ほんとうに百円ショップにあるんだなとは思った。

日常で細々としたものが急に入りようになるとき、百円ショップにあるんじゃないかと思って、実際に百円で手に入ることもあれば、ないこともある。ないことの方が多いかもしれない。

その一方で、必要なものを求めてではなく、百円ショップに並ぶ棚をただ順々に見ているとき、むしろそういうときにこそ、百円ショップの潜在的な魔力にやられる。じつに無節操に並んでる商品(と呼んで良いのかさえわからないような些細で断片的なものたち)を見ていると、自分の中から突如として、思いもよらないニーズが掘り起こされるのだ。

壁に設置するフックとか、飲料のボトルを入れて持ち歩ける袋とか、ふと目にとまった食器類とか、コスメ系液体用の容器とか、もしかして、これはすごく便利なんじゃないか、これまでの日常における盲点ではなかったか、是非とも活用すべきではないのか、そんな期待がもくもくと頭の中に沸き起こる。そして、なにしろ百円だからダメで元々と、それ以上よく考えもせずに購入してしまう。

もちろん買ったものが、思惑通り役に立ったためしはない。でも百円で、必要に迫られる快楽、思考停止の快楽、購入させられる快楽を楽しめてるのだから良いと思う。