斎藤寅次郎「東京五人男」(1945年)を、ただしyoutubeにあがっていた不完全なもので、これだときちんと観たことにはならないのだが、以下はとりあえずその不完全な条件下でみたうえでのの感想である。

古川緑波。「ロッパの悲食記」における戦時下の特権的食道楽ぶりを知ったうえで見てると、とてつもない偽善者というか悪人の本性を隠し持ってそうな、ただならぬ不気味さを感じさせなくもないけど、それは多分にこちらの思い込みであろう。登場人物としては、すごく温和で小市民的で誰からも好かれそうなおっさんの雰囲気である。

エンタツアチャコの二人。どちらが先に風呂へ入るのかを揉める二人のやり取りが、今観ていてもふつうに面白くて、そうなのか漫才の型はすでにここまで完成しているのだなと思う。その後、狭い風呂桶に二人が無理矢理一緒に入って、それぞれ湯舟に浸かりつつ別の歌を歌って、片方に引っ張られて片方の歌がわけわからなくなる、そんなコント的なやり取りも、今でも充分に通用する面白さが息づいているようで、ああこういう笑いの内実の部分が、変わらないものなのだなと思う。

それにしても昭和二十年である。おそらくは降伏文書調印とほぼ変わらない時期に東京でロケされている。作ろうと思えば、ここから映画は出来てしまうのだ。映り込む景色はまさに焼け跡そのものだが、路面電車の混雑や物資配給の行列など人々の旺盛さのほうがが印象的に感じられる。

ミュージカルというかレビュー仕立てというか、歌唱する場面が多いのは、当時の映画に人が期待するものの一側面を示すものでもあるのだろう。

後半の台風の場面、円谷英二による特撮もすごい。家そのものが流され、それを緑波の親子が二人並んで、オールを家の外に突き出し、ボートのように家ごと漕いで進もうとするシーンは、これはすばらしいというか、こんなアイデアをいったい、誰が考えついたのかと思う。