小林信彦「天才伝説 横山やすし」で、読んでいる箇所がちょうど八十年代あたりなので、たけしという人物がもつ突出した才能への言及が各所にちりばめられていて、それら一つ一つがどれも印象に残るものばかりで、横山やすしという良くも悪くも形式としての漫才尊重、先達への尊敬、芸事への神経症的執着と破滅といった旧来的な在り方に比して、八十年代的・たけし的、なものが対比的に配置されている感じで、それは語りの構成というよりもあの時代が実際にそうだったからだろうと思う。

いくつかのエピソードから、当時のたけしがいかに従来のフォーマットを脱臼させた存在だったかが如実にわかる。ツービートも、紳助・竜介も、それまでの漫才スタイルから見ればほぼ邪道で、片方が喋り倒して片方が相槌をうってるだけの、掛け合いにも何にもなってない。つまり彼らははじめから漫才という形式に対して、執着も屈託もなく古典的なものへの憧憬もない。

youtubeで検索して「やすしきよし」の漫才を久々に見たのだが、意外だったのはやすしのスピード感や瞬発力と、きよしの反応が完全に拮抗していて、この芸が完全に二人の均等な力で成り立っていたことだった。もっとやすしだけ一辺倒な漫才かと思い込んでけど全然違う。ものすごいテクニシャン二人のガチバトルだった。)

たけしにとって漫才は〈最高のもの〉でもなんでもなく、才能を世間に認められるための手段であった。
漫才師二人が舞台の中央で会って
「いや、久しぶりやねえ」
という、そうした〈ワザトラシサ〉が恥ずかしい、いやだ、というのが、たけしの発想である。
スター千一夜」という番組で、たけし夫人がお宮参りに行っている。そこに、たけしがフレーム・インするのだが、
「きっかけで入りました」
と断って現れた。
つまりディレクターの合図(キュー)が出たから、入ってきたのだ、とわざわざ断る。こんな芸人は今までいなかった。

漫才の"演技"のところが、すでに恥ずかしいというのは、まさに八十年代だなあ、とも思う。(「現代」の方が、歌も演技も、誰もがよほど「上手」だし「当然」のごとくにそれをしてる感じがする。)八十年代初頭のテレビにおける「きっかけで入りました」的なノリは、以降テレビの世界を席巻し、大流行し、やがて人を飽きさせもしただろうけど、少なくとも当時のそれが、いかに衝撃的だったか、それはさすがに、わかる気はする。

小林信彦によれば、「オレたちひょうきん族」は、漫才、コント、その他の人々をあえてばらばらに使ったもので、しかしあれは再見に堪えないもので、少なくともたけしの本領は「ビートたけしオールナイトニッポン」にあったと。

ちなみに71年生まれの僕自身は、80年代から今までの主としてテレビお笑い芸のようなものに終始一定以上の関心をもたずに生きてきて、さんま、タモリ、たけし、ウッチャンナンチャンダウンタウン、いずれにもあまり興味なく、とくにたけしと松本人志のふたりがなぜあれほど巨匠扱いなのかが大昔からまったく理解できなくて、でもたぶん二人とも、少なくともテレビのなかで本領を発揮するタイプではなくて、そのあたりを僕がまったく理解できてないということなのだろう…とも思う。