母の傘寿祝いということで会食。久々のフルコースで、満腹が度を過ぎて最後は目を白黒させるはめに。我々はともかく母と十二歳の姪がよくまあ付き合いきったものだ。店を出てからしばらくのあいだ、自分の身体全体がフォアグラ化したような窒息感にしばし苦しんだ。

それにしても母親の年齢を思ってあらためて驚く。自分の年齢に対する自覚をもつのも難しいが、母親も自身がその年齢だという自覚は、あまりないのではなかろうかと思う。というか、人に年齢的自覚なんてものがあるのだろうか。あるとしたらそれはやはり世間や周囲から教えられ、植え付けられる感覚なのだろう。植え付けられないこと、教えられないことの幸福あるいは不幸を謳歌して生きているのだと思う。