フランス料理とは何よりも量であって、ある一定以上の量を食べなければ本領は見えないものであるとの某ブラッスリー店主の言葉に、なるほどそんなものかと思ったことがあるけど、自分の場合は腰が引けていて、むろん店にもよるけど居酒屋使いを好むというか、冷温の前菜皿一つずつとか、甚だ頼りなく情けないオーダーでやり過ごすことが多い。すし屋とかそば屋とか立ち飲みみたいに、さっと食って飲んだらさっと出るのを良しとする感覚が、どこかにあるせいかもしれない。フレンチはむしろ、はじまったら可能なかぎり時間を浪費して良く、そうあるべきもののはずで、そのときの時間、店という場における公と私の混ざり具合は、やはり日本的なものではない。だから後半まだあるのかとほとんど怨めしく思えるほど出てくるデセールなんかも、その間延びして弛緩しきった特殊なひとときを埋め合わせるために、その時間をさらに後ろへ引き伸ばして、そのどこへ投入したっていいはずのものであるだろう。

まあ、さっと食って飲んだらさっと出るのを良しとするのは東京など都市の流儀なのかもしれない。田舎料理ならやはり果てしなく大量に、人間の消化器系器官の許容量など全く無視した物量の料理が出てくるのだろう。それでもそれはやはり日本の社会であり共同体による独自さによって、ではあるのだろうけど。