ある作家の作品を、最新作ではじめて知って、それを好きになると、過去の作品もさかのぼって知ろうとする。その仕事の一貫性を過去にさかのぼり深堀りし味わい、なるほどこの作家はこういうキャリアを重ねてきて、こういう仕事の変遷があったのだと、良い時期悪い時期があって、こういう流れでここまで来たのだと、そのときは思う。

しかし月日は流れるので、あるときふと、その作家をはじめて知ってからすでに数十年が経っていることに気づきもする。それはかつて、さかのぼって聴いたその作家の過去作品のキャリア時間と同じかそれ以上の時間の経過だったりもする。

ある作品を、過去二十年前くらいまで遡って知るとか、それはそのときの自分の意志で自由に出来ると思っているけど、自分の持ち時間というか、自分の肉体に対して経過してしまった二十年や三十年という時間を、自分の意志で勝手にさかのぼって読み返すことはできないし、そのあいだに起きた出来事とかを後になって体験することはできない。いわば同時代体験とは、そのとき限りだ。

そんなことはわかっていたつもりだったし、リアルタイムを特権的体験だとは思わずにこれまで過ごしてきた気がして、それはつまり時間の経過が迫る恫喝的な何か、お前はいつまでもこのままで良いのかと人を急かす圧力に対して、ずっと背を向けてきたということで、それはべつにそれでいいのだけど、ただしふと気づいたときに、何か、途方に暮れる感がないとは言わない。

ところでスティーブ・ウィンウッド"Winwood: Greatest Hits Live"。2017年に出たライブ盤。最近こればかり聴いてる。

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