世田谷美術館の企画展に載っている荒木経惟の写真になぜか妙に惹かれ、図書館で荒木経惟の写真集「東京人生」と「センチメンタルな旅1971-2017」を借りてきた(企画展に出てる写真は「東京日和」収録らしい)。

「東京人生」はデビュー前から2006年頃までの仕事が網羅されている。写真ひとつひとつに作家本人のコメントが入っていて、ある種の読み物として、作家の半生の物語というか写真+個人の回想として読めてしまえて、それだとそんなに面白くはないのだが、やはり作品そのもの、とくに初期の頃のエネルギーは計り知れないものがある。一点の質の良し悪しをどうのこうの言ってももはや仕方ないような、作り手としての体力というか生存本能がケタ違いで、闇雲にまさぐって触れたものはすべてつかむみたいな、背水の陣、石に噛り付いてでもみたいな、とにかく生き伸びようとする生物の本能じみたパワーは感じた。

荒木経惟は1940年生まれ、自分の父とかそれ以上の世代に、得体のしれないパワーを感じさせられることは多い。芸術家にかぎらなくて、実業家だろうが研究者だろうが、みんな徹底的で非合理的で闇雲である。なんかやっぱり今の人間とはもともとの組成が違うんじゃないかと思いたくなる。ものの考え方の単位が二桁くらい違うというか、これぞ時代の違いというものか。

自分自身の写真技術に対する知識と鑑賞経験不足もあり、あまり言えることはないのだが、でも豪徳寺に住まいを移してからの写真はどれも印象的で、とくにあの広いバルコニーが素晴らしいではないか。あんな場所に「巡り合った」という幸運もまた、写真家にとって必要なことなのだろう。

また映画もそうだけど、写真も「引きの構図」に、撮影者の本質的なところがあらわれたりもするのだろうか。その距離の取り方って何?と思いたくなるような写真も多い。