関川夏央『砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった』を読んでいたら、無着成恭という名が出てきて、おお…いたなそんな人、と思う。

僕が小学生のころ。夕方、台所の棚の上にあった小さなラジカセのAMラジオから「こども電話相談室」の、軽快というか人を妙にイラつかせるような浮ついた感じの主題歌が流れてくる。女性アナウンサーの声と、鈍重な中年男性の声と、電話口の先にいるらしい、どこかの子供の声が、何かたどたどしく要領を得ない感じのやり取りを交わす。聞いててちっとも面白くなかった"あれ"の、相談受け役のおじさんの名前が、無着成恭である。

当時を思い出すに、まだ小学生だった自分がもっともイラついたのは、電話で相談してくる子供たち(たぶん自分と同年代)の質問というか発言が、まるできちんとしてない感じで、きちんと予行演習もしてなくて、そもそも意図がわかってなくて、期待されているものも理解してなくて、空気も読めてなくて、電話口でやたらとまごついて、アナウンサーの女性から何度も助け船を出されて、おなじことを何度も聞き返されて、そのたび、あーとかうーとか、動物のような反応を返すみたいな、ああいう子供の愚鈍さ、悲しむべき無防備さを、もろに露呈させられることの屈辱を、まるで我が身にこうむった恥辱のように感じたから…とまで言うと大げさだと思うが、まあだいたいそんな感じで聴いていて妙に不愉快だった。で、どんな相談があり、無着成恭がそれに何と答えていたのかは、一個も記憶にない。そもそもなぜ自分がそれを聞いていたのか、それが謎だ。言うまでもないが、小学生当時の僕は、おそらくこれ以上ないくらいにイヤな子供だったはず。

しかしきっと、当時自分が通ってた小学校の校長先生とかも、だいたい無着成恭と同じ世代だったのだろう。(ちなみに僕が"昭和一桁"という言葉を知ったのは、小学生のときに"こち亀"を読んでいて、主人公の両津が大原部長のことを"さすが昭和一桁…"と揶揄して言う場面だった)。

戦後民主主義教育。今となっては、何十年も前からある古ぼけた箪笥の引き出しの奥から出てきた、埃とカビだらけの、得体の知れぬ禍々しく恐ろし気な、ちょっと蓋を開けるのが躊躇されるような不気味な木の箱みたいなものだな。

無着成恭。つい最近まで存命だったのか。2023年に96歳で死去とのこと。

無着成恭「山びこ学校」の古本を購入してみた。まだ未着。