大江健三郎が「懐かしい年への手紙」に書いていた、「二階が大きい図書室となっている広い建物の、油を塗った板床の匂い」について、ずっと気に掛かっている。朝鮮戦争中であるから五十年初頭の頃、それは「あきらかにひとつのアメリカ体験だった」と書かれていて、ということは「油を塗った板床の匂い」が、戦後アメリカからもたらされた匂いなのか、ということが、やけに気に掛かってしまっている。

「油を塗った板床の匂い」は、まだ自分が小学生に上がるか上がらないかくらいの時期すなわち七〇年後半あたりの西武線電車の床板の匂いのことではないかと、自分の個人的な記憶は勝手にそれに結び付く。あるいは幼稚園や小学校の教室の床も、当時はまだ数十センチ四方のタイルがびっしりとはりめぐらされた木製で、掃除の時間になると毎日独特のにおいを放つオイルワックスをモップで擦りこむのが子供たちの仕事として課されていた。あのワックスの、あきらかに「人には優しくない」匂いを今でも記憶しているし、ああいう油脂が浸み込まされているのが我々が利用する施設の床なのだと無意識に擦りこまれていたのだと思う。

床とは、踏めば油が滲んでくるような、それでいて手入れの行き届いていて清潔さを感じさせるような一枚の平面。設えられた近代的な足場。泥や土から仕切られて維持されるべき広がり。

油を差す、という行為自体が、今はもうなくなったのだろうか。床へのワックス掛け、そんなことを今の小学生がやっているとは思えない。それ以外にも、大工道具だの、日曜品のメンテナンスだの、たとえば自転車のギア部分に、時折油を差すなどという行為が、今でもありうるのか、自分は寡聞にして知らない。(自転車は駐輪場に何年もほったらかしだ。。あれ、今どうなってるんだろうか…)

「油を塗った床板」は、人間によって設けられた、人工的な空間の、まさにあのときにおける、はじめての試みだったはずだ。

ここまで書いて思い出した、自分が高校生くらいから、たまに銀座や周辺の美術画廊を徘徊しはじめたとき、このギャラリーは好きだな、この画廊の内観、空間はうつくしいなと、ぼんやり感じたとき、そこにはギャラリーの床のテクスチャーが、かなり大きく自分の評価に影響していたはずだ。というかおそらく自分は、ある空間全体を要素ごとに平等に評価するのではなく、ことに床という要素を、それ自体がもつ存在感を強く意識していたし、いわばそれが突出して主張してくるような空間をより好んだのだと思う。床、底面、地べたの存在感がない空間を、はっきりと嫌っていたとも言って良い。