人身事故で、走行中の電車が突然一時運転見合わせとか、徐行運転になるとかで、帰宅通勤の途中、もう夜遅くだというのに、到着時間が大幅に遅れることはたまにある。

そうなったとき、電車の乗客のうち誰かは、予期せぬ事態に苛立ち、焦り、ため息をつき、ずるずると延びる帰宅予定時間を思い、こうなった身の不運を嘆きもする。その一方で、とくに不平も不満もなく、平常心の人もいる。このあとの予定のあるなしや、心もちの余裕や、もともとの性格にもよる。

苛立ち、焦る乗客の誰かは、人身事故という言葉の向こう側にいるはずの、被害者とされるこの事態を引き起こした誰かを、想像で思い描きもする。もちろんそんなことを一切思い浮かべない人もいる。

たとえば「バタフライ効果」という言葉における蝶の羽ばたきと、人身事故の被害者を引き比べたとき、その「効果」のなんという違いかと思う。「人身事故効果」は、我々電車の乗客と、人身事故の被害者とを、あまりにも迅速に、何の留保もなく直結し過ぎだと思う。蝶の羽ばたきが、いきなり私の頬に風を送ることはないはずなのに、人身事故の被害者はまるで、いきなり私の帰宅を遅らせるがために、その身体に傷を受けたかのようではないか。もちろんそれは、間違いのはずだ。あなたと私が、それほどまでに直結しているわけではないはずだ。