古沢憲吾「ニッポン無責任時代」(1962年)を観る。観始めてすぐ、相当昔だけど、前にも観たなと思った。「3-4×10月」もそうだったが、自分の頭の中ですでに粉々になっている破片のような記憶で、もはやそれ単体で想起されることはないが、こうして再見すれば、ああこの断片がこの場面と合わさるのか、とわかる程度に残存している感じだ。

植木等は、色々あるけど最後はきちんとおさまるべきポストにおさまり、結婚の約束もして、無責任男と言いながら一応けじめは付いてるというか、彼のやってることはさほど荒唐無稽でも破天荒でもなくて、じつに緻密に戦略を練り調整し相手を折衝する、文字通り優秀なエージェントであり、関係者誰もの立場もきちんと考慮していて、おかげで誰もの地位や階級や立場も大きく変動することなく、ひとりも脱落させることなく、組織の継続に貢献する。だから組合は結成できても階級闘争としては失敗で、かろうじて雇用が守られたことで周囲は安堵し、植木等だけが自らをもっとも高く価値づけできた。金に目のくらんだ女たちからはいったん見切られたが、きっと彼女らは再びすり寄ってくるだろう。組織内においては誰もが、多かれ少なかれ植木等的ではあるのだろう。世の中の構造自体は変わらないことを承知のうえで、自分だけやや多めに利ざやを得る方法を探るしかない、と。