起きたら首回りに激痛、上体を起こすのにしばらく難儀する。起きてしまえば首回りの痛みは液体のように上腕部へ移る。ただ昨日までの、肩から二の腕にあったはずの痛みが、その裏側へ回って、今は肘の少し上あたりに痛みの中心がある。患部が安定しないので、湿布などどこに貼れば良いのか戸惑う。しかも腕を上げられないとか、そういうことはない。動きに関係なくただ痛みが続いている。そしてまるで飛び移ったみたいに、右人差し指の先に痺れがあり感覚が麻痺している。これは五十肩じゃない可能性がある。もう一日だけ我慢して出勤、ウェブで近所に整形外科を探し、明日午前中で予約する。

DVDで、D・W・グリフィス東への道」(1920年)を観る。リリアン・ギッシュをはじめとして、各登場人物たちの、俳優らの演技と表情がまるで方向案内のようにその先を示し、迷いや苦しみにおいてはその場で一緒に留まることを示す。サイレント映画の、無駄なく確実に話の流れを伝えていく組み立ての強靭さ。観ている我々はその物語を充分に理解し、没頭しながらも、ほんとうに肝心な「言葉」は、字幕にも説明されておらず、字幕説明と役者の表情や仕草のどちらでもない、その間に読み取るしかなく、映画もそれを読み取れと言う。だから常に、決定的な瞬間はどこにも映っていない。それは記憶を思い返して事後的に確かめるしかない。すべてがそのためにある。それがサイレントで、しかし映画はそもそもサイレントを原理とした表現手段にほかならない。

ラストの息詰まる大スペクタクルな割れる流氷シーンは、ロケで本物の流氷を使って撮られた、氷上にうずくまるリリアン・ギッシュの髪はほんとうに凍ってしまった、みたいな逸話を聞いたけど、そうなのだろうか。そういえばそんな風にも見えるし、でもそれを知らなければ、なんと本物らしく見事に撮影したのだろうと、そのことに驚きたくもなる。まあ、とにかくこのクライマックスは何も言葉が出ない、とんでもなく素晴らしいものだと掛け値なしに思う。