夢を見ながらうなされたり、ときには叫んだりすることもある。そういうとき、隣で寝ている妻に起こされる。どんなに恐ろしい夢を見ているのかと思うほどの声を出すらしい。明け方に騒がしくして申し訳ないと思う。

叫ぶ場合は、たしかに怖い夢を見ていることもある。ただそうやって身体が動いているということは、もう意識はかなり覚醒の領域に近づいているので、起こされると、それまで見ていた夢をおぼえていることが多い。だから、あれしきのことでそんなに叫ぶかね、と自分に呆れることもある。叫ぶのはその状況を早く終わらせようとしてるから、というのもあると思う。だからかすかな自覚がある。

しかしうなされる理由はわからない。自覚はないし、何を受け止めているのかもわからない。夢は記憶に残らない。ただ、怖い思いや、切羽詰まった思いをしていたわけではなくて、なんでもない日常の延長のような夢の、うっすらとした余韻だけを感じることはある。

夢が願望の充足だとすれば、叫びたくなるような怖いものを、ぼくは望んでいるとも言えるか。しかしうなされている自分はいったい夢の中でどこにいて何を見ているのか。願望とはたぶん、欲望とか欲求とはちょっと違うのだろうな。同じ属性ではあっても、まだ特定のむずかしい、名指すことさえまだ出来ないような、ふわふわした不定形な、対象未満の何かではないだろうか。