学校のような場所で講話するという機会があった。もともと僕は仕事上、任意の誰かに話をしたり説明したりする機会はそこそこ多くて、面談などもこれまでのべ軽く百人以上はやってるはずだけど、そこそこ大人数の前で合計二時間弱も話をするというのはたぶん生まれて初めてのことだ。(べつに偉い人ではないので、自分の功績とかを話したわけではなくて、単なる会社員としての講話。)

日直係が、起立、礼の掛け声をかけて、自分が先生呼ばわりされて、あー学校って、こういう感じだったな…と思う(厳密には学校ではないが)。学生のとき高校で講師のバイトをしたときのことを思い出したりもしたし、こうして教える/教わるの関係の枠組みのなかに来てみると、三宅さんがふだん書いてることも一々あてはまるなと思った。

講話中、自分の視線は居室の中程に定めて、手前の人たちとは視線を合わさないようにして、ときおり左右を見回しながら、さらっと生徒の様子を確認する。おしなべて皆さん、ぐっと我慢してこの場を耐えてるというか、仕方ないからおとなしく聴いてる感じ。時間が経ってくると、少しずつ全体の雰囲気がゆるくなってくる。聴いてる人と聴いてない人が分かれ始めて、だんだんまだら状になってくる。眠そうな顔で固まってる人もいれば、頭ががくんと折れてしまった人もいる。こちらにしっかりと顔を向けて、話にうんうんと相槌をうって聴いてくれてる人もいるのだけど、あれはきっと性格が良いのだろうなと。けっしてこちらの話を興味をもって聞いてるわけでもないのだろうなとも思う。自分としても、話がすでに冗長にすぎるかなと思うと、場もそんな風にだらっとしてくるし、少し興味や関心が向きやすいような話に矛先を変えると、途端にぐっと「喰い付き」が変わるというか、全体の「聴いてる感」が高まるのがたしかに感じられたりもした。

急な話だったのと、先方から懇願されて断れなかったのと、あまり事前準備できないし、こっちは話の素人だし、品質に責任もてませんよとお伝えしたうえで臨んだ場であったけれども、終わってみて思うのは、それなりに恰好だけはついたのかもしれないけど、まあこういうのはしっかり事前準備すればするほど充実したものになるのだろうし、少なくとも話者である自分の満足度が、その準備に見合うというか、そこに比例するものだろうなということで、まさに三宅さんがふだん言ってる通りだなと思った。あと、それこそあの場において「笑い」を取るのは、至難の技だなとも思った(べつに仕掛けてスベッたわけではなくて、終始単調にマジメに話しただけだが)。聴いてる人たちはけっして、愛想笑いなんかしてくれないからな。本当に面白くなければ笑わない。面白い話ができて、笑いも取れて、全体を活気づけられるというのは、すごい技だなと思う。