子供の頃、夏休みなどで父の実家へ帰省していたとき、その家は商売をしていたので、大勢の人を呼んで宴会を催すことがあった。その日になると座敷の襖はすべて外されて折り畳み式の机がいくつも並べられて、そこに所狭しとばかりにビール瓶や大小の料理皿が敷き詰められて、やがて見知らぬ男たちがどやどやと家に入ってきて順々に並んで座り、場がざわついて、わいわいと賑やかになって、それがあっという間に歓声や叫び声や怒号に変わって、家中が大音量をわんわんと反響させてほとんど耳が聴こえないようになり、その合間を女たちがばたばたと給仕に走り回る。僕は宴会場と裏方の台所をうろうろと行き来し、その雰囲気の落差を楽しみ、ほどなくして飽きると親戚の子と一緒にいつもの子供部屋に逃げ込んで、週刊漫画の続きを読んだりしていた。

宴会でひときわ大きな声を出していた一味のなかに父もいた。威勢だけは良いので喧噪のさ中遠くでもその声はよく聴こえた。父は商売を手伝っておらず、ふだんは東京に住み絵を描いていたので、たぶんそのことを威勢よい声で「言い訳」する必要もあったのだろう。俺もお前らと同じように商売しているのだ、俺なりに勝負を賭けているのだと、ここが勝負どころだと云わんばかりの勢いで周囲へまくし立てていたのではないか。

宴たけなわのさなか、ある一画に静かな席があった。兄弟の長男であるT兄とその友人らが囲む席だけは、誰ひとりとして大声を出さず、酒と料理に箸を進めていた。静かで、かつ和やかだった。今だけ急にいきり立ち口角泡を飛ばして騒ぎ立てる理由もない、ふつうに食事をして酒を飲む男たちだけで占める席だ。白いシャツとステテコ姿に日焼けして細く引き締まった腕や足を窮屈そうに机の下にしまい、あるいは立膝で、彼らは黙々と飲み食いしていた。

子どもの目には、あの席だけは退屈そうな空気があって、場全体の華やぎから遠く疎外されているようで、子供のこちらに軽口でちょっかいを出してくるわけでもなく、あまり近寄る気になれなかった。ただしああやって時間を過ごすのが好きな大人もいるのだというのはわかった。ふだんのT兄らしい態度だった。それはそれで良かった。

今思えば、Tおじさんだけがマトモだったのではないかと思いもする。まあそれも本当のところはわからない。T兄は長生きされたが、亡くなったのはたしか一昨年だったか、いやその前だったか。