「7年ごとの成長記録 21歳になりました」というテレビを観ていたら、なかなか面白かった。

日本各地の子どもたちを7年おきに取材し、彼らの成長と社会の変化を描くドキュメンタリー。14年前、7歳だった子どもたちは今、21歳。今回の番組では、成人し、それぞれの人生を踏みだそうとする13人の姿を描く。就職、結婚、親の死などそれぞれの問題に直面する彼らに、将来の夢や不安、家族や故郷への思いなどをインタビュー。7歳、14歳のときの映像を交えながら、彼らの成長と時代の変化をつづる。
(NHK 番組表(http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=204&date=2006-10-22&ch=21&eid=20757)より)


との事で、ある一人の人物の7歳、14歳、21歳(現在)のインタビュー映像が出てくる。考えてみると、インタビューされる側にとっては結構キツイ番組で、もし自分がこんな目にあったら放送に対して泣いて抗議しそうだ(笑)


少なくとも僕からみたら、21歳なんて全然まだ若いし「思ったほど上手くは行かない」とか「夢の実現は難しい」とか「これが現実だ」といったような判りやすさの演出も希薄で、その年齢だとどうせまだこれから色々あるだろうし、それぞれ面白かった。でもみんな(このテレビ出演者に限った事ではないが)すごいちゃんとしてて、大人っぽいですが…。


その中で、僕の中でとりわけ印象的だったのが、イギリスからの帰国子女の子だったのだが、大変優秀な感じであった7歳、14歳当時の少女が、現時点で東大在籍の女子大生になっていて、この子のまだ幼い子供の頃の話し方が、もう脊髄反射そのものといったような超ハイレスポンスな、アタマの良い子特有の話す言葉がくるくる回転しているような、(ある意味非常に嫌なコドモの印象を強く感じさせるような)印象であるのに対し、21歳になったその女子大生は、かなりゆっくりした、低い、迷うような声と抑揚で話していた事であった。


ここを上手く説明できるか判らないが(でもここを上手く説明できないと、この文章の目的は達成できないのだが)、なぜこの変化が印象的だったのか?というと、それは幼い頃の、自分の力をまったく疑う事の無い状態から順調に成長を続け進学をし、東大にまで入学して人生の春を謳歌してるか?と思ったら、イマイチ暗い表情をしていて、テレビを見ている凡庸な視聴者の僕が、その成り行きに溜飲を下げる事ができたから。というのもあるだろうし、こういう元々個性的であった子を、完膚なきまでにスポイルするのが、日本の社会の悪魔的パワーだよなーと思わせる部分も勿論あり、この21歳の女の子の現時点での「暗い雰囲気」のようなものを伝える事が、番組制作者側のこの子のエピソードにおけるとりあえずの目的のひとつなのかもしれないとさえ思うのだが、ただ見ていて、そういう悲しい感じとは違うような、それだけではなくてある大変好ましく思えるような感触が、その21歳の彼女の映像にあったからで、それがどういう感触か?というと、要するに、なぜか色々上手く行かず、考えなければいけない問題や考えなくて良いのかどうか判然としない問題候補にまみれていて、昔のようにパワーを掛けるべき方向性が一方向では済まなくなっているような、目の前の複雑な事態の相貌に薄々感づき始めている人間の、極めて現実的な表情であったように見えたから。かと思った。


ああいう、自分の言葉を自分であまり信じていないような抑揚で、しかしなるべく正確さと適切さを失わないようには配慮していて、しかし全体に深い無気力と空虚さを感じさせる、あのような「遅い」言葉は、その言葉の質としては信頼に足るものを備えている気がする。(別にその喋っている「人物」が信用できる。とか良い人そう。とかいう話ではなく…ここいらが説明困難な箇所だが…)少なくとも、テレビで放送されて、なんとなく惹き付けられるだけの力はあるなーと思った。


最後、その女の子は将来の夢として「大きな家がほしい。そこで自分ひとりで好きな事をしたい」的な発言をする。この言葉や考えが良いのか悪いのか的な事は、まったく他人の問題なのであって、僕がどうこう言う事ではないし、どうとも思わない。ただ、その、発される声と、抑揚と、から成る言葉自体は、やはりなかなかのものであった。という事。