私は最悪

Amazon Primeヨアキム・トリアー「私は最悪」(2021年)を観る。悪くはないのだが、期待したほどではなかったかな…との印象。レナーテ・レインスヴェ演じる主人公は、他の登場人物から批判されたり糾弾されたりはしないのだが、たぶん本作を観る観客からはあまり共感を期待できないだろう。むしろ顰蹙や反感を受ける可能性がきわめて高いだろう。しかし彼女はそれをものともせず、自分を押し通していく。それも強引さと弱みの抑揚を上手く折り合わせて主人公として表現していく。子供を産む/生まないの問題を含めて、私は私をどのようにしていくのか、最終的に何を知り何を学んで、どこへ落ち着くのか、それが映画としてどのように表現されるかが本作の勝負所で、それはそれなりに上手く行っていて、面白くて見応えあるとは思う。

しかしなんとなくモヤモヤ感があるのは、各登場人物たちがひたすら常識的な枠組みの中で右往左往しているのを見つづけているのが、どうも居心地悪くて息苦しいからだと思う。アップとダウン。その二色のコントラスト。つまりは端的に性欲の排出問題に過ぎないのでは…。歓びも悲しみも怒りも、ぜんぶ狭い円環のなかでぶつかり合ってるだけで。…でもまあ、若いってそういうことだよなあ…みたいな、そんなつまらない感想しか思い浮かばない自分の徒労感を持て余すような感じがある。

オスロという街は景色も街並みもすごくきれいで、というか整理整頓されている感じで、映画にあらわれているものを見るかぎり、ほぼ影がないというか、人々に階層や格差が見当たらないというか、お金に困ってる感がほぼ無いというか、とにかくきわめて均一な雰囲気を醸し出してる印象だ。だからこそ友人同士のパーティーがやけにギスギスしてるような、両親との関係とか、子供とか、ひたすら神経症的に自分を苛みたくなる要素として浮かび上がってきて、細かいところでみんなイライラしてて、だからこそなのかもしれないなあ…とも思う。