家に居ます(乾燥待ち)


だだっ広い画面の上やら下やら左やら右やらがばらばらで、それぞれがてんで繋がっていないように感じられる感覚のまま、無理やり開き直って、まったく楽しい気分を欠いた状態で、それでも多少の時間を堆積させれば、よく知ってる慣れ親しんだ場所にいけると大体の感じで見込んで、ほとんど水中でもがくような感じで、とにかくひたすら描く。…そうすると、しばらくすると大体なんとなく、はいはい、ここね。と言う感じの、何となく慣れ親しんだ感じがする場所に来る。やれやれ、ああやっとここに来たと思って、軽く安堵する。労働の成果を確認するのは気分が良い。…でも絵を描くって労働→成果と違いますから。ひとまず目的を与えられて、その枠の中でベストを尽くすことを求められてる訳じゃないのですから。というか、それが下請け根性ですから!


前にも書いたけど、絵というのは、濡れてるときと乾いてるときで、すごい感じが変わってしまう事があって、乾いたときの失望感は、あれは嫌なものである。逆に、濡れてるときの官能的といっても良いほどのあの恍惚とした有様は、もはや、この絵を仕上げるよりか、この有様の写真を上手に撮った方が喜ばれるのではなかろうか?と思うくらいのモノである…。しかし、濡れている状態のものは、多分まだ「絵」では無い。それは未だ、濡れている物質でしかないのだ。「絵」とは、例外なく、乾いているものである。


あと関係ないが、僕は缶ビールをグラスに注ぐときの「デュボボボボ」という音が嫌いである。風呂上りに、冷蔵庫から缶ビールを出して、座ってグラスに注いだとき、その音がすると、もう本当にがっくりとして、何もかもイヤになるような気分に襲われる。あの音は、そのくらい、惨めで空しく貧乏くさい。でも飲むのです!!