大島弓子「ダイエット」について(vol.1)


大島弓子「ダイエット」はもう、とてつもなくすごい作品であった。一読してぶん殴られたような衝撃を受け、その後何度か繰り返して読んだが、読めば読むほど素晴らしさに恍惚となってしまった。この素晴らしい作品についてここに何か感想を書きたいのだけど、相当時間をかけていっぱい書いたのに、まるで上手くいかない。…でもとりあえずこの作品では様々な出来事や関係や何かが、全部まったく新しい意味を与えられて、そのまま何の拠り所もなく今この目の前で繊細に震えているようなのだ。その事だけは確かなので、その感触だけでも書きたい。でもそれは相当難しそうである。二読、三読すると、各エピソードの驚くべき自律性とかに新たな発見があってますます全体の印象が捉えがたくなり、かつ、輝きが増す。だからもはや、書く事が愚鈍さでしかない事にうんざりするしかないのだけど、でも一応かろうじて立てた下記の項目が、どれも物語において散々使い回されてきた紋切り型な外枠ばかりだと思うけど、この作品は主にこれらの具象モデルを信じられないくらい軽やかに読み替えて、揺るがしているのだと思う。


1.男女の三角関係
2.家族関係
3.外見の美しさ/醜さ
4.そうありたい私


ここ(vol.1)ではとりあえず「1.男女の三角関係」について書いている。…そもそも、よくあるドロドロした三角関係とはどういうものだろうか?それはおそらく欲望を抱えた三者それぞれが、それぞれの相手の意図や思惑が見えない事で、いらいらしたりやきもきしたり、そこで自他共に傷ついたり傷つけられたりという事だろう。2対1の関係であるとき、2の両者は互いに、相手を憎みもすれば気の毒に思いもする。そうかと思えば、チャンスを見いだして、ジャストなタイミングで相手を出し抜こうともするかもしれない。その事で相手に決定的なダメージを与えた自分を激しく責め、罪悪感に一生苛まれ、後に長い手紙で告白したりもするだろうし、あるいは早い段階で、その円環に拘束されている状況に見切りを付け、自ら身を引いて別の世界へ逃避してしまう事もあるかもしれない。


しかし、「ダイエット」の登場人物である三者はそのようなドロドロからはずいぶん遠くにいる。彼ら、彼女らは、人間の人間らしいエゴイズムの約束を平然と踏み越えているようだ。もちろん、血の通っていない無菌室みたいな特異な雰囲気がこれみよがしに演出されている訳でもなくて、どこにでもいるありきたりな私やあなたが、何の力も加えられずに提示されているだけで、それだけなのに驚くべきしなやかさがそこにはある。この思いと思いが交差するよう設けられた場所の「標高の高さ」が、それだけでほとんど奇跡のようにあらわれていて、読む者を驚かせ、新たな世界がそこに提示されつつある事を感受させられるのだ。


そのしなやかさとは、本来避けがたく人を苛む「不安」「傷つくこと」「苦しむこと」を、登場人物たちが独自の方法で回避できているから生まれている、訳では全くない。彼らや彼女らはむしろ、ふつう以上に「不安」「傷つくこと」「苦しむこと」を正面から受け止めるのだ。まるで自分が、今以上に何か幸福を得る資格があるかもしれないという可能性を、ほとんど想像もしていないかのようなのだ。


恋愛的三角関係においては、たとえば相手が去ったことで自分に所有権が移る事を期待するとか、自分が去ったことで相手がかつての私と同じように傷つく事を期待するとか、ふたりが揃って幸せに…あるいは不幸になる事を願うとか、…そういう「損得配分」に基づいたこころの動きがどうしても稼働するし、それが人間のどうしようもないどうしようもなさである。。それは、客観的にみてどんなに貧しく低俗で卑劣な心であっても、ほんの一瞬だけそのような気持ちに身を預けてしまう事が、ときにはダメージを追って弱まった心を一時的にでも甘く癒してくれる事もあるような、そういう毒性の薬みたいな効能もある事だろう。数子は基本的にそういう考え方がこの世にあるのを知らないかのようなのだけど、ほんの一瞬だけ福子を疑う瞬間があって、あの瞬間なんかは何ともせつなくて数子という人物を愛おしく思わずにはいられない箇所なのだが…しかしそれはほんの一瞬だけの事で、彼女は最初から最後まで、ずっと考えるのだ。角松君は、私ではなく福子に惹かれているのかもしれない…その可能性が濃くなっていく事態を冷静に受け止め、少しずつ、今、何をすべきか、全体がどのようになるのが一番「おかしくないか」を自分を感情にいれず冷静に考え始めるのだ。ときには(あくまでも二人の「ふろく」でいたがる)福子を毅然と拒否する意志を態度で示しながら(そこに福子への憎しみとか裏返った甘えが全くない、ただ単純に「それはやっぱりおかしいから」という思いだけで)最後は福子と角松を二人きりで合わせようとする。


「福ちゃんだって角松君とふたりっきりになりたいんだろうなあ」「プレゼントのふろくとかなんとかいってあたしに気がねしてるみたいだけどさ」


「いいわよ わたし 福ちゃんを もうちょっと待ってみる。角松君は?時間は?」
「いいよ オレも ここで いっしょに まつよ」


広大な宇宙空間に、この三人だけが、いるみたいである。この三人は、最初から、この三人の誰一人でも欠けたら駄目なのだということを、言葉に出すまえから、はっきりとお互いに認識しているかのようなのだ。それ以外の如何なる価値観や情報にも惑わされないかのようなのだ。最初は数子と角松、次は福子と角松…みたいに、順番みたいに、まるでいつまでも三角関係を続けようとでもするかのようなのだ。