伊勢神宮を駆け足で巡る


本日夜、両親の実家から帰ってきた。帰省ラッシュUターンのピークで駅は相当混んでいたが、でも帰ってきてしまうとすべてがなんだかあっという間で、なんだかんだ言ってもさっくりと移動できてさっくりと元通りになる便利な世の中だなあとも思った。お盆ウィークも今日で終了である。


今日は朝から午後過ぎの電車の出発時間まで、伊勢神宮の外宮と内宮を駆け足で参拝した。いや参拝というか、単に「見学」というか「鑑賞」という感じで、というか、猛烈に暑くて単に歩いてるだけでも死ぬほど大変だったのだが(外宮から内宮へはもちろん車で移動)、しかし、改めて驚いたのが、神様が祭られているというこれら神殿たちの外見的たたずまいの、おそろしくあっけらかんとした質素でシンプルな姿であった。


伊勢神宮の、神殿とか建物というのはよく知られているように「式年遷宮」によって20年に一度の間隔で立て替えられる。「式年遷宮」が最後に行われたのが1993年で、だからこれらの木造建築物はみな、出来てから15年しかたってない訳である。だから、周囲のすさまじい直径の樹齢数百年はあろうかと思われる巨大な杉の木や、単なる物理的空間と認識することがためらわれるほど深く暗い深緑のうっすらとした広がりの中にいて、玉砂利を踏みしめつつ歩いていくと、その奥にひっそりとたたずんでいるのが、造られて日も浅く未だ無垢な白さを残しているかの如き肌の神明造の建物で、そこには朽ちた感触とか歴史の堆積とか積み重なりとか折り重なりの感触がまるで欠落していて、いってみればシステムだけが剥き出しになっているともいえる光景であって、だから僕はそこでたとえば色々な「歴史的遺産」を眼で見たときの、よく知っているようなある種の感情を盛り上げてくれるような要素を無意識に期待している筈なのだが、今、目の前でそれがあまりに希薄なのでやはり微妙に戸惑っていると同時に何かあらたしい感触を受け取ってもいたように思った。


時間が無く、観るべき重要ないくつかの神殿および博物施設を訪れる事ができなかったのは残念でしたが、またいつか。