ニューヨーク


脳内ニューヨーク」という映画が観たいと思って、久々にビデオ屋に行ったが、無いので、店員の女の子に聞いたら、検索機械で調べてくれて「あ!!いえ、それはまだ、レンタルしていません!!7月21日からです!」と言うので、わかりましたありがとう、と御礼して、かわりに「ダージリン急行」を借りた。そしたらこれが、相当面白い映画だったのでかなり嬉しかった。相当久々に映画を観たのだと、観はじめてから気づいて、映画というものが始まるときの独特の感触というものの猛烈な新鮮さが素晴らしかった。特典で収録されていた「ホテル・シュヴァリエ 」という短編も素晴らしかった。「ダージリン急行」でも「ホテル・シュヴァリエ 」でも、男女の交接シーンが、とても素晴らしいと思った。ところで、「脳内ニューヨーク」のサントラに収録されているらしい「Little Person」という曲をYoutubeで聴いて、そのあと最後に出てくるおすすめ動画のリストに「Landing at New York JFK from Cockpit B747」というのがあって、要するにニューヨークのJFK空港にB747機が着陸する映像なのだが…観ていたらもう、なんだか深く感動してしまい、僕は元々飛行機はものすごく嫌いで、なるべくなら乗りたくないのだが、でもこの映像を見ていたら、もうこれは飛行機というものに、もっとどんどん乗っていく方向で考えた方が良いのではないかという気持ちに少しずつ変わってきた。JFK空港の乾いた滑走路のアスファルトの路面を見つめながら、ああここがJFK空港で、この場所がニューヨークなんだな、この空気、この雰囲気、この路面は、フィクションでもなんでもなくて、今僕がいるこの場所と地続きで、たしかに存在する場所なんだな、と思って、その事が泣きたくなるほど切ないことに感じた。もう、21世紀に生きる人間である以上、テクノロジーの力でもっともっと移動して、その結果、最悪の場合に、飛行機が航行を失敗して、海へ向かって一直線に墜落していって、そのまま事故で死んだとしても、それはそれで良いではないかとすら感じた。飛行機でどこかへ行って、そして帰ってきて、また飛行機でどこかへ行く、という事の素晴らしさとつまらなさ、人間の限界のようなものを、両方思った。そしてはじめてそれを、肯定的な思いで腑に落とした。自ら望んだわけではないにせよ、今を生きている人間であるなら、飛行機には乗ろう、同じように飛行機に乗っている人々に手を振るためにも、と思った。だから夏休みの旅行計画は、わざわざ往復飛行機で行くことにした。ニューヨークじゃなくて岡山ですけど。



いわゆる帰国子女と呼ばれるような人が感じさせる独特の雰囲気というのがあって、あれはもしかしたら、わたしの居場所はここ以外にもあるという根底的な思いがそうさせてるんじゃないだろうか。それはこのわたしの居場所は外国にもあるとか、ちゃんとオファーされていてわたしは必要とされている人材なのよと思ってるとか、そういうつまらないことを言いたいのではなくて、要するにわたしやあなたが、今この場所で、こうしている間にも、JFK空港の乾いたアスファルトには飛行機のタイヤの跡が黒々と残っているし、イタリアのテルミネ駅はいつも通りの喧騒につつまれているだろうという、そういう想像を普通にできるということ、つまり今、この場所以外にも、世界各国というものがあって、さまざまな場所が同時多発的にあるのだという事を身に沁みてわかっていて、常に肌で感じているという事なのではないか。帰国子女の人が感じているのかもしれない孤独さに囲われた幸福感というのは、それに尽きるのではないだろうか。