過去


製造業関連の生産工場というのはものすごい田舎にあるのが普通で、電車を乗り継いでそういうところにまで行かなければいけない事が、たまにある。何時のことだったかもうあまりおぼえていないが、あるとき僕は、栃木県だか山梨県だか福島県だかのある小さな駅で、用事が済んでこれから東京まで戻るために特急券と乗車券を買って、午後三時半とか四時とか、そのあたりの時間だったと思うが、そのまま改札前のベンチに座って時間が過ぎるのをぼんやりと待っていた。木造の小さな、瓦屋根の、とても小さな駅で、改札口はひとつだけで、最近のカードリーダー式の機械が昔ながらの古い改札ボックスの上に無理やり備え付けられていて、それ以外には切符売り場の自動販売機と待合用のベンチが二つとジュースの自動販売機と広告や貼り紙のしてある小さな掲示板などに囲まれたつつましい空間がその駅のすべてで、あとは改札を通り抜けるとプラットホームらしきコンクリートの高台が地面から一段高くなって延びていて、その周囲は金網とすすきや雑草が生い茂っているだけで、遠くには山々が水色に霞んでいて空は青空で雲がいくつか浮かんでいた。


いつからそこにいたのか、作業着のようなグレーのジャンパー姿の老人が、こころもち前屈みで、杖を真っ直ぐに地面に立て、その持ち手を両手で包むようにして、両足に7杖に3くらいの割合で重量配分しているような按配の立ち姿でじっとそこにいた。まるで身動きせず、誰もいないプラットホームの先の方をじっと見つめたままだ。僕がじーっと向けている視線にもまったく気付かないか関心を示さない。


しかししばらくしてその老人は、音もなく杖の先を地面から離し、歩を進めて、ゆっくりと丁寧に歩を進めて、駅員室の前まで行った。そこでガラス窓を叩き、やってきた駅員とガラス窓に等間隔の細かく丸い穴が無数に空いた窓口越しに何事かを話し始める。で、またふたたびゆっくりと杖を突きながら移動して、さっきまで居た元の場所に戻って、またさっきまでと全く同じ格好になって、ふたたび遠くを一心に見つめる姿勢に戻った。


それから5分後か10分後か、忘れたがやがてプラットホームに一両の電車が停車した。ばらばらと乗客がホームの左右に散り散りとなって降車し、やがて後から後から改札口を通り抜けていく。意外と高校生とか若者が多い。一瞬だけ賑やかな雰囲気があたりに広がるが、しかしすぐまた元の静寂と程好く調和して、駅の待合は相変わらずである。


降車客があらかた居なくなった頃、長いコートを着た中年の婦人がスーツケースをガラガラと引きながらようやく改札口まで来て、そのときさっきまでじっと静止して一点を見つめていた老人がふと視線の方向を変えたように感じたと思ったら、中年の婦人は改札を出る前にその老人をみとめ、近寄って、まったく表情を変えないまま老人の肩をさするように手を置いて、忙しない感じで何事かを二言三言口にしたかと思うと、さーっと改札を通り抜けて、スーツケースをガラガラといわせながら、老人の傍らに並び、そのまま二人で並んで歩き去っていく。


老人が居なくなったら、まさに誰もいなくなってしまった。僕だけがベンチに座っている。日が翳るにはまだ少し時間がある。僕の乗る列車が来るまでにはまだずいぶん時間があるので仕方なくそのままぼんやりしているよりほかない。


何もすることがなく退屈だったので、はじめて一人で喫茶店に入ったのはいつのことだったか。はじめて一人で外で食事をしたのはいつのことだったかを考えていた。その後、なぜか結婚したばかりの頃、いや結婚前のある一時期のことを思い出していた。


僕と妻の二人で不動産屋に行って、いくつか物件情報を見て、そのまま車に乗って実際に部屋を見に行ったときのことだ。どのアパートも古くて狭くていかにもアパート、という感じだったが、そのことに対する不満や失望はまったくなかった。むしろ粗末で貧相であればあるほど、我々にとって良い事のように思えた。僕はそう思っていたし、おそらく妻は僕以上にそう思っていたのではないかと思う。何しろ一刻も早く新しい生活をはじめなかればという切迫した思いだけがあったのかもしれない。契約成立後、家具や生活用品より先にふたりの人間だけが、いや正確にはまず妻だけが、まだ照明すら無いその部屋に入って、ほとんど無理やり新しい生活の一日目を刻もうとして、そして彼女は実際に翌日その部屋で一人の朝を迎えたのだった。その数日後、僕も会社から、何もないその部屋に帰ってくるようになって、最初の数日間か十数日間は、ほんとうに床で食事してその場で寝るみたいな感じで共同生活を立ち上げはじめ、それはまるで学園祭とかお祭りをやってる学校とか施設の床に直接寝ているようで、あれはあれで面白かった。