かんかんかんかんと、古い缶を棒で叩くような音が鳴り響いて、何かと思ったら雨の音で、降りだした雨が屋根を叩き始めたのが午後の一時半か二時ごろだったか。


しばらく窓の外を眺めていた。景色全体に、さっと煙のように靄がかかり、瓦や上に白く炭酸が弾けるような雨の跳ね返りが光を反射させて景色をますます白く霞ませる。見上げると空の遠くは貼り付けたように鮮やかな青空が広がっていて、白い雲が発光しているかのように白い。もっと真上の、自分のいるベランダからでは上階に遮られて見えない位置にある雲が、おそらく黒々とした雨雲なのだろう。雨脚は、強くなったり弱くなったりしていて、もう止むかと思ってもなかなか止まず、それどころかいつまでも降り止む事はなく、結局最初よりもむしろ勢いを増した。


結局、これを書いているたった今、夕方の午後四時過ぎといったところだが、今もまだ降っている。ついさっき、激しい稲妻と雷の轟音が断続的に鳴った。かなり大きな音だったので驚いた。今はもう雷雨ではないようだ。夕方には上がるだろうか。…その後、大雨になってしまった。


そして、二日後の夜となった。時刻は午前二時を過ぎた。


たしかその日は、朝からずっと読書をしていた。九時半に起きて、十時ごろから読みかけの「枯木灘」の残り百ページ余りを一気に読んでいた。途中十一時ごろにざっと飯を食い、その後もまた読み続けた。雨が降ってきたのはその途中のこと、たしか一時半か二時ごろのことだった。そのあたりの時間に雨が降ってきたのだった。しばらく雨の様子を見ていたが、また続きに戻って、結局読み終わったのはたしか二時半か三時頃。その後でシャワーを浴びてだらだらしていて、今はもう夕方、四時前。という前述の文章を書いていたのが三日前の夕方の四時頃である。


枯木灘」はたぶん読み始めてから今日まで三週間近くかかったことになる。しかしこれは、この時期の夏の、蝉がぎゃんぎゃんと泣き喚いている八月の前半から後半にかけて読むことができたのは良かった。


雨の降りだす前、蚊が飛んでいるようだったので蚊取り線香を焚いた。白い線香の煙がもやもやと軟体生物のように自分の目の前をうねりながら窓の方へ流れていったのを見ていた。いや、雨が降り出してからだったか。ちょっと思い出せない。ちなみにこれを書いている今も、蚊取り線香の匂いがしている。ついさっきまで焚いていたのだ。


枯木灘」はとにかく、なぜこのように描けるのか?なぜこのように続ける事ができるのか?という驚きの連続という感じ。まさに、殺しても止まらない勢いというか、噴出していくらでも溢れ出して来るというか、もうなんというか、書く妖怪という感じ。このように成り立たせることができるという、この確信はいったいどこから来るのだろうか。正直、こんなものを読んでしまうと、自分では何も書きたくなくなってしまう。なんとなく、自分のなかで色々と考えていた事も、今になったら大体ばかばかしい、如何にも弱々しい付け焼刃にしか思えなくなってしまう。でもまあ、書いて書いて書きまくる事でしか出てこないものというのはあるので、まあとにかくあることないこと書きまくる、やりまくるということでしかないようだった。ぐいぐいと書き重ねてしまうしかない。それに何の意味がなるのか、それが果たして効果的なのか、後で回収可能なのか、そんなこ知ったことか。ちまちまと細かいところを直すようなのが仕事だと思ってるのはアホらしい。もっとごりごりに歪みまくった太い音を出さないと駄目。


DVDで「サッドバケーション」を観る。映画館で観て以来だがものすごく面白かった。映画は久々に観るとやっぱり面白い。


待ち合わせの時間に間に合うように出かける。この店で問題ない、とりあえず当分他店を探す必要ない、と意見が一致した店に再訪し前回と同じ肉を食べる。焼肉などふだん食べたいとは思わないが、しかしここはやはり素晴らしい。前回はワインだったが今回は焼酎にて。そのまま店を変えつつ未明まで飲む。朝になる前に帰宅。


翌日は実家へ。昼前に出発して二時頃に到着する。母親と妹夫婦と我々でまたひたすら色々と食って飲む。食い続け、飲み続ける。日本酒、ワイン。午後十一時過ぎに帰宅。完全に食べすぎ。食べ過ぎ感が酒の酔いを遥かに凌駕している。肝臓は正常稼動してるけど消化処理がほぼオーバーフローしている。体調が悪い。シャワーを浴びた後すぐ寝る。


本日は九時過ぎに起床。寝てる間に消化終わったみたい。CPU使用率今は平常状態。体調戻る。


秋になったと思った。とても涼しい。涼しいというか、空気が張り詰めようとしてる。ぎゅっとよそ行きの、よそよそしい空気の朝。寝汗などまったくかいてない。


でも起きてしばらくしたらやはり気温上がってきた。日中はまだ多少の残暑感もある。早朝深夜だけは夏が終わったということか。


適当に本を読み散らかす。「地の果て、至上のとき」「笛吹川」「夜間飛行」を平行して読む。もっとも読みづらく、かつ若干鬱陶しい感じを受けるのが「夜間飛行」だが、でもこの何がいいたいのかわかりづらい文章の感じが楽しいのでゆっくりと読む。「地の果て、至上のとき」はまだほんの数頁しか読んでないが、これは文庫で六百ページ以上あるけど、感じとしては枯木灘よりも早く読み終わってしまうんじゃないだろうかと思うくらい文体に抵抗感がない感じでするすると読めてしまう感じだがどうなのか。「笛吹川」もまだ全然序盤の段階だが、枯木灘の後に読むと自分の錯覚かもしれないがすでにやや軽く感じられてしまうようで、このまま読み進めるのもどうなのかと思っているところ。


ウサイン・ボルトがフライングで失格して、日曜日も終わり。


さっきたまたま、CSでアニメのルパン三世「死の翼アルバトロス」と「さらば愛しきルパンよ」を続けて放映していたのを観る。何十年ぶりの再見か。。しかしどちらも面白い。アルバトロスはでかい飛行機を飛ばしたいだけの展開が潔くてとても気持ちいい。愛しきルパンも三十分の中によくこれだけ詰め込んだものだ思うような濃縮した展開がすごいけど、でもこれはやっぱり「ラムダ」というロボットの素晴らしさに尽きる。小学生のときにこれをはじめて観たときのショックは筆舌に尽くしがたかった。子供の頃見たアニメでもっとも衝撃を受けたロボットのベスト1かもしれない。うん、そうだ、その後のどんなロボットを思い出しても「ラムダ」以上ではないと思ってしまう。外観や動作もさることながら、あの操縦席の狭さ(腹這いで乗っている)とかコントロールパネルの感じとか、当時はもう、桁外れにすごいと思ったものです。