An American Band


今日はよく寝た。昨晩寝たのは遅くて、それで何時に起きたのかもう忘れたが、たっぷり寝たいと思っていたので、目がさめて、おお、よく寝たのだと思い、願いがかなったから満足したほうがいいと思って起きたら、妻がキッチン周りを猛烈な勢いで掃除している。新聞を取りに外へ出たら寒い。おおおー、と呻き声が洩れる。青い空を、葉のすっかりなくなった木の枝が、細かい針のようになって鋭く先端だけで刺したようにみえる。ビーチ・ボーイズのヒストリー映像DVD「アン・アメリカン・バンド」を観る。はげしく肥満して豪華なベッドに横臥したままインタビューに応えているブライアン・ウィルソンと、やたらと元気にステージ中をうろうろ徘徊しつつきっちりとフロントアクトを務めているマイク・ラブを見較べていると、どうみてもマイク・ラブの方がマトモな社会人に見える。というか70年代のマイク・ラブはほとんどミック・ジャガーみたい。ブライアン・ウィルソンはとりあえずことあるごとに着ているガウンやパジャマがはだけて始終あらわになる相撲取りみたいな真っ白くふくらんだ上半身がじつにみにくく、この二人が同じバンドメンバーだというのが信じがたい。別のヒストリー映像作品「エンドレス・ハーモニー」も、続けて観た。90年代のブライアン・ウィルソンが、スタジオのでかい卓ミキサーの前で曲のボーカルパート、ギター、ベース、管、弦、その他に振り分けれたチャンネルのフェーダーを一個ずつ上げてその音に耳を澄ませて悦に浸っている。これって、ああ、そうね、そういうことなんだね。これこそがブライアン・ウィルソンだな、と思った。そうやって音の要素を、いくつもいくつも、重ねて重ねて、あるいは間引いて間引いて、ひとつひとつ、何度でも何度でも、そうやって繰り返し聴き返しながら試していたのだろう。そのほとんど大差ない結果にどこまでもこだわり続け、浸り続け、そういう時間の経過がなければぜったいにうまれない感触の音楽をつくりだしたということだろう。ビーチ・ボーイズは、ブライアン・ウィルソンの作品だと思って聴くと、どこまで聴いても、究極的にはこの世でもっともうつくしく素晴らしい失敗作という感じがする。それ以外のメンバーの作品だと思って聴くと比類なく素晴らしいアメリカン・ロック・バンドという感じがする。ふだん聴きたいと思うのは完全に後者の側面だ。観終わって、細切れの映像ばかりだったので、やっぱりちゃんとしたライブ映像を最初から最後までがっつりと観たいと思った。スパンコールぎらぎらの衣装で踊り狂うマイク・ラブはかっこよすぎる。自分は全然、一生懸命な性格じゃないけど、バンドは一生懸命やってる人の方が好きだ。