ロッセリーニ「イタリア旅行」を観る。この女優が、イングリッド・バーグマンというのか。僕はなにをかくそう、イングリッド・バーグマンという女優を、これではじめてみたのだ。
すごく豪華な顔。はっきりとした造形。頬骨から角度の変わる面の違い。頭蓋骨の表情。しかし瑞々しさ、ふくよかさも少し感じられる。そのバランスがよく出来すぎで、生きている人としては不自然に思われるくらいだ。映画では、その顔のアップが多い。ドアップではなく、正面からの顔とその後ろの背景も含んだシーンが多い。すごくいかつい肩パットの入った、上等そうなスーツを着ている。不安げな、退屈そうな、所在なさげな、心が騒いでいるような表情で、クルマの運転をしながら、たえず視線を泳がせている。両手で握ったクルマのハンドルを、時折左右に細かく切りながら、顔は真っ直ぐより心持ち上向きな角度で、視線は一歩先の、遠くの出来事だけを見つめていて、今ここのことには無関心な様子だ。事故を起こすのではないかと思うくらい、運転に際して集中力が散漫なようにも思われる。サングラスをすれば、それが似合っている。
イングリッド・バーグマンもそうだし、ご主人の役の人もそうだが、最初から最後まで、登場人物の夫婦は、今ここ、のことをあまり見てない感じで、お互いひたすら、何か別のものを見ていて、映画を観ているこちらにしてみたら、なめらかなフォルムを持つ自動車の形状と、イタリアの風景だけはしっかりとした印象を残すのに較べて、登場人物がするすると時間に対して無抵抗に流れさっていくのをずっと見ているだけのように見える。
ルーカス「アメリカン・グラフィティ」を観る。これは大昔に観たことがあって、懐かしいのでもう一度みたかった。やっぱりなかなか面白いのだけど、チャールズ・マーティン・スミス演じるモテないテリーが、なぜかナンパに成功してしまってからの、デビーとのやり取りがとても楽しい。というか、デビーという女の子がたいへん魅力的。ぜんぜん心ここにあらずで、基本どうでもいいと思ってる感じが、なんというか、あーそうそう、こういう感じねーと思って、なんかこういうのいいわーと思って、思わず笑ってしまう感じ。
有名なDJウルフマンジャックのくだりも、最初リチャード・ドレイファスがそのスタジオをたずねて行くと、本人が「ウルフマンジャックはここにはいないよ。全部テープなんだよ。」と嘘をつくところも良かった。あ、そうだっけ。忘れてたので、全部テープだったのかと騙されてしまった。それはそれで良かったような気もした。そして、最後はやはりなかなか、泣ける感じに終わってくれるので、これも予想通りで満足。こういう終わり方はそれ以後、たくさん作られることになったのだろうが、本作のラストの出来はやっぱりひときわ輝いているように思える。今まで見ていたもの全てが急に、ふっとすべてが、遠く甘美な記憶に変わってしまう(そして現在はそのときではない)ことの、なんとも不思議な不意打ち感があるのだ。そして最後は、ビーチ・ボーイズのAll Summer Longが流れて、画面を見ながら、ひたすら感傷に浸るだけ。