大手町に行っていつもどおりOAZOから丸善に行こうとしたら、地下からの道が全然変わっていて、どうやって行けばいいのかわからなくなってしまったので仕方なく地上に出てから行く。辻静雄の本がいくつか復刊していて、おお!これはと思ったけど、どれを読んだことがあって、どれがないのか…は大体わかっているのだが、でも一度家に帰って確認したうえで不足分を買えば良いだろうと思ってひとまず買わない。(そして先ほどamazonでガッツりと購入ボタンを…)辻静雄を呼んでいると、命に変えてでもうまいものを食べなければ、というガッツが伝わってくる。もちろん僕にはそんな美食の日々を送る経済力も気力もないので、同じような頑張りで何か具体的に行動するわけではないが。でもやはり、つまりはこういうことだよなあと思わされる。本当に、自分の肝臓を犠牲にして貪り食ってるのがありありと感じられる。まったくおそろしいことである。その後、なんとなく行き当たりばったりに立ち読みしながら、新書を二冊買う。「日本の統治機構」「牡蠣礼賛」。


生牡蠣は昔からとても好きだが、今年はとくに好きの気持ちが観測史上最高値に達して、夏場はとにかく生牡蠣が食べたくて仕方がなくて、横浜の僕の勤務地近辺にはオイスターバーが少しあって、でも一人で入れるような店構えとも違う店ではあるのだが、どうしても我慢できなければ、かまわず一人でぐいぐい来店して、いくつかの牡蠣を貪り食うというのを、たまにやってしまっていて、それがいよいよ、秋になって「R」の付く月になってきたので、いよいよ牡蠣本番な季節ではあるのだが、皮肉なことに季節がこうして秋になって肌寒くなってくると、以前ほどには、ああ牡蠣が食べたい食べたいと、恋焦がれるような熱い気持ちは無くなってきてしまい、第一こんなに肌寒いのに生牡蠣とワインではちっとも身体が温まらないではないかという思いもあって、まったく上手く行かないものだと思うのだが、それでも結局は今後も機会ごとに何度かは食べるに違いない。たぶん気分的な疲労感で、身体が細かく泡立っているかのような、はあ、今日はマジで疲れてモノを考えるのもしんどいわ、みたいな、歩きながら、手足はもとより口も喉も胃の腑も半渇きみたいな、そんなときであれば、厳寒の真冬だろうが、がっと注文して1ダースくらいは喰うだろう。


その後、冬服を見るけど何も買わず。犬用の防寒着が妙にちゃんと売ってるのは百歩譲って許すとしても、その上着にポケットが付いてるのにはどうしても納得が行かない。あれだと、犬が、自分が着てる服のポケットからモノを出し入れすることを想定しているとしか思えない。ほんとうにそれでいと思っているのか。別の売り場では、犬用のリュックも売ってる。犬が、自分で背負ったり、必要時に自分でリュックを降ろして必要なものを取り出したりすることを想定しているとしか思えない。七年前に死んだ家の犬も仮にそれだけのことができたとしたら、さすがにまだ生きていただろう。