板橋、川越


板橋区立美術館で「井上長三郎・井上照子展 ―妻は空気・わたしは風―」を観る。井上長三郎の、おそらくはじめて仮構された世界観的なものの最初の具現化が、砂漠で器楽奏者が演奏する「トリオ」と題した作品ではないかと思った。この作家はおそらくその後、社会的な事象を作品に取り入れたというよりは、社会的事象をほぼすべて「トリオ」的なものに置き換えていったのではないか。もちろん「トリオ」とその後の作品とは一見似ても似つかないわけだが、それでもその後のどの作品にも「トリオ」に描かれた要素が呪縛のように作用しているように思われた。しかし三十年代にパリ、ローマ、スエズ、と洋行しているというだけでものすごいわけだが、しかしなぜスエズ?と思ったのだが、たぶんフランスから箱根丸で日本に帰る途中で寄港したのかもしれない。それで、これは何の根拠もない勝手な想像だが、実際のところ井上長三郎にとってもっとも影響を与えたのはスエズの経験、スエズで見た景色、色彩、空間だったのではなかろうか。というかそもそも僕がスエズを、どんなところか全然知らないのだけど、知らないのにそんなことを言うのもアレだが、でも砂漠を背景にした絵の、あまりの発色の悪さを観ていると、きっとこれは、もしかしたらそうだったのか、何かそうじゃなきゃいけなかったのかな、という感じがして、その後のあのどんよりとした世界の予兆にようで、それはそれでなかなかだ。


井上照子は、もっと良いのではないかと期待していたので、やや肩透かしというか、まあこんなものかという感じ。


というか、何が良いとか、何が悪いとか、それって何?と思うようなところもある。人がいいと言えばよくなるのが作品であるならば、そんなものをいいとか悪いとか言っててもしょうがないわけですけれども、だからあたりまえながら、いいもわるいもどっちでもいいわけですけれども、いいもわるいも、そんなのどっちでもいいよと思いながら作品を観るというのが難しい。でもほんとうはどちらでもいいのだ。世間においては、人においては「どっちでもいいなんてことはないはずです」とか言う人もいるのですけれそも、でもそれこそが間違いではないか。結局は、何か、そうじゃなきゃいけなかったのかな、という感じ。それなのかな。


美術館を出て、赤塚植物園まで歩く。冬の、何もない淋しい植物園。しかも、気が遠くなるほどの寒さなのに、最近の妻はどうしたことか、ゆっくりと歩きながら木々の冬芽を見て喜んでいるので、吹き付ける寒風に耐えコートの襟を立てつつ仕方なく付き合う。こんな真冬の無人の枯れ野原みたいな植物園をじっくり歩いているだけでほとんど狂人に近いような気もするが、我々はなぜかここ何年か、そういうのが多い。


植物園を出て海沿いの町か?と思うほどの高低に沿って家々が並び立つのを見ながら成増駅まで歩き、東上線で川越まで移動し、川越市立美術館で「ペインティングの現在−4人の平面作品から−」を観る。浅見貴子の、タイトルが「柿の木 夜」(だったか?)は、黒以外の色が入ってくるこの作家の作品群のなかで、少なくとも僕が知る限りもっともうつくしい作品ではないだろうか。これはほんとうにきれいで、絵の前を立ち去りがたいものがある。


しかし出掛けから帰りまで寒かった。最後はもう麻痺してほとんど寒くなかった。上野で宴して帰宅。