庇護の空


読んでる本(シェルタリング・スカイ)を、この小説は、まあまあかな、と思うときもあるし、でもこれは、少なくとも今の自分にとって、一番しっくりくるな、と思うときもあるとして。


しかし、今の自分。と言うが、今の自分とは?自分が、今の自分というものを、いったいどうとらえていて、なぜその自分が、この本がしっくりくると考えるのか、よくよく考えると、根拠不明である。


今の自分という架空の人物に、それを読ませて、反応を見ているような感覚だろうか。…だとしたら、そのような仮構の時点で、じつはもう弱いはずなのだ。でも昔からそうだが、架空ではない自分が、素のままの異物としての作品にアクセスして、みたいな話に、どことなく違和を感じているところも否定できないのだが。


本を読むでも音楽を聴くでも、どうしてもそこに媒介的なものがある。自分側の媒介と、相手側の媒介。媒介が二つある。媒介のこちら側が、暗闇だ。相手先の向こう側も、やはり暗闇だ。暗闇同士は、もしかするとつながってるのかもしれないが、それはわからない。いずれにせよ海みたいな、わけのわからない場所。


海は怖い。サメが怖い。そういえば、この前、たまたまテレビでやってたので「ジョーズ」を久々に観て、僕は「ジョーズ」はある意味、映画の中で一番面白いんじゃないかと思ってるのだけれども、とりあえず僕は、何度見てもこの映画に出てくる海の色が、ほんとうに好きだ。まさに現実の海の色という感じなのだ。明るくもあり、暗くもあり、透明でもあり、不透明でもある。そして、何やらやけに白っちゃけた、何の面白みもない、空虚な、大量の海水。あのぼろい船で、その只中へ向かうだなんて、まったくあれこそ、シェルタリング・オーシャン、、とか言いたくなる。


こうして、僕は毎夜、シェルタリング・レストランで呑み続けるばかりなのだ。