先日「危険生物」がテーマの子供向けの図鑑を本屋で立ち読みしていたのだが、そのカラフルな表紙を飾っているさまざまな動物写真のなかでも、やはりというか予想通り中心でひときわ大きくクローズアップされてるのはサメなのだった。

おそらく「危険生物」のなかでも、サメという生物に人間がおぼえる恐怖感、不安感、禍々しさは、ひときわ強烈なものではないか。サメが海という人間の生息環境ではない場所に住む生物であること、だから人間がサメに襲われるのは、本来サメの領域に不躾にも人間が侵入したがゆえの、それは当然の報いであって、その人間の愚かさを神様でさえ救いはしない。神からも見放されたその人物は、想像を絶する残虐や非道を経験して死に至るしかない、そんなところにあの凍り付くような恐怖感は由来するのではないか。

映画「ジョーズ」で、酔ったロバート・ショウが語っていたこと。日本の潜水艦に撃沈され船から投げ出された兵士達が、太平洋の海を漂流していた。やがて集まってきたサメに彼らは次々と襲われた。サメが人に襲い掛かるとき、あの不気味で無表情な眼の色が、その瞬間にだけ、くるりと反転して白く光る。それを見たときにはもう遅い。そうして波間に漂っていた兵士たちの多くがサメの餌食になった…。

ところで「危険生物」の図鑑ではじめて知ったのだが、ホオジロサメは獲物を襲うとき、攻撃の際に傷が付くのを防ぐために、両眼に白い膜がかぶさった状態になるらしいのだ。つまりロバート・ショウの言葉は、襲われる瞬間の恐怖を、サメの変貌するイメージに置き換えて、いわば創作を含めた修辞として言ったのではなく、獲物を襲うサメの眼の色は白く変わるという端的な事実を話していたのだった。それにしても攻撃時の眼にカバーをするとは、何というモードチェンジであることか。